ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件
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犯人
事件後当初より、襲撃は続くルワンダ虐殺を実行したフツ過激派によるものと考えられてきたが、2000年以降、襲撃を命じたのはRPFを率いてのちにルワンダ大統領となったポール・カガメだとする報告が幾つか提出されている。しかしながら、いずれの説についても証拠を巡って激しい論争があり、多くの研究機関をはじめ国連も襲撃犯を断定することは避けている。BBCニュースの特派員であり1994年の虐殺をキガリから報道したマーク・ドイル(en)は、「暗殺者の正体は20世紀末最大の謎の1つとなるかも知れない」と2006年に記している[30]。
アメリカ国務省の現在では情報公開された4月7日付諜報秘密報告によれば、身元不明の情報源から米国ルワンダ駐在大使に「軍内のフツ不穏分子…たぶん大統領警護隊エリート、が撃墜に関与した」と報告があった[31]。CIAとアメリカ国防情報局を含む他のアメリカ政府機関もこの結論を支持した[32]。フィリップ・ゴーレイヴィッチ(en)は、1998年に刊行したルワンダ虐殺を描いたベストセラー「ジェノサイドの丘」(原題:We Wish to Inform You That Tomorrow We Will Be Killed With Our Families(en))の中で、当時の考えを次のように纏めている。
ハビャリマナの暗殺犯はいまだ特定されていないが、疑惑の焦点は彼の取り巻きの過激派、なかんずく半ば引退したテオネスト・バゴソラ大佐に絞られている。バコソラ大佐はハビャリマナ夫人と親密であるとともに「アカズ」とその処刑部隊の創設者の一人であり、1993年1月にはバコソラ大佐がアポカリプス(訳注:ここでは大破壊などの意)を準備中だと発言している。[33]
1997年、ベルギー元老院による報告は、暗殺の詳細を究明するには情報が不足しているとした[34]。1998年、フランス国民議会による報告は2つの説を提出した。1つは攻撃をRPF(現在のルワンダ政権と軍の指導部)との交渉進展を不服としたフツ過激派によるものとする説である。もう1つの説は首謀者をRPFとするもので、これはアルーシャ協定の履行が進まないことへの不満が動機であるとした。これら以外に検討対象となった仮説としては、フランス軍が関与したとするものがあったが、フランスがルワンダ政府を攻撃する理由は不明だった。フランスの1998年報告は、主要な2説についてはいずれが有力とも断定はしなかった[16]。2000年に公表されたアフリカ統一機構による報告は、首謀者の特定を試みていない[35]。
2000年1月、カナダの『ナショナル・ポスト』(en)紙は、カガメ配下のRPFが外国政府の支援下で暗殺を実行したと主張するツチの情報提供者3名による報告を、ルワンダ国際戦犯法廷のルイーズ・アルブール(en)検事が握り潰した、と報じた。[36]国連は後日、その「報告」なるものはオーストラリアの捜査官マイケル・ヒューリガンが作成した3ページのメモであり、彼自身情報の信頼性に確信が持てないままとりあえず資料庫に保管したものにすぎない、と説明した。その後、国連はそのメモをルワンダ国際戦犯法廷に提出し、被告側弁護士は内容への興味を表明した。[37][38]
2004年、事件に巻き込まれたフランス人乗務員の死について捜査していたフランスのジャン=ルイ・ブルギエール対テロ司法官(en)の証言によると、暗殺はカガメが命じたとする報告書を提出した。この報告書は元RPFの中尉だったアブドゥル・ルジビザ(en)の証言に大きく依拠している。ルジビザ元中尉は肩撃ち式のSA-16(en)を用いて暗殺を実行した細胞に所属していたと述べた[17][39]。ルジビザ元中尉はのちに彼の証言をプレスリリースとして配布し、自身の証言を詳細に説明するとともに、紛争を開始し、ジェノサイドを長引かせ、ジェノサイドと政治的弾圧の期間を通じて広範な破壊活動を行った咎でRPFを糾弾した[40]。この元RPF将校は2005年に Rwanda. L’histoire secrete という著書も出版し、ルジビザ元中尉の説を述べている[41]。ブルギエール対テロ司法官によればハビャリマナ大統領の暗殺にはCIAが関与しているとも主張しているという[42]。
ポール・ルセサバギナはフツとツチ両方を祖先に持ち、(訳注:虐殺の最中にツチや穏健派フツの)命を救おうと努力したことで2004年の映画「ホテル・ルワンダ」のモデルとなったが、のちにカガメとRPFが撃墜事件の背後にいたという説を支持し、2006年11月に次のように記している。
国連安保理がこの航空機ミサイル攻撃事件について、いまだ調査を命じていないのは理解し難い。特に、まさにこの事件が「1994年のルワンダ虐殺」と呼ばれる大量殺戮を引き起こしたことには誰もが同意するのだからなおさらだ。[43]
また2006年11月、ブルギエールはカガメとRPFが暗殺を企てたと断定する別の報告を提出した。これに抗議して、カガメ大統領はルワンダとフランスの外交関係を断絶した。「Conspiracy to Murder: The Rwandan Genocide」の著者であるリンダ・メルヴァーン(en)は次のように記している。
フランスの判事がカガメ大統領が前任者殺害に関与したとして示した証拠は甚だ薄弱であり、しかもその中には、大統領機撃墜に使用されたとされる対空ミサイル関連など、フランス議会の以前の調査により既に棄却されたものまで含まれている[30]。
カガメ大統領はまた「虐殺にフランスが関与した証拠の収集を責務とする」ルワンダ人委員会の編成を命じた[44]。2007年11月、この委員会は報告書をカガメだけに提出し、委員長であるジャン・ド・ディユー・ムチョは委員会が「調査が有効か否かカガメ大統領が宣言するのを待つ」と述べた。これによってこの調査の政治性は更に際立った[44]。
2007年、コレット・ブレックマン(en)は、ル・モンド・ディプロマティーク紙掲載記事において、ブルギエール判事による報告書の信頼性には重大な疑問があるとし、ミサイル攻撃の際にルワンダ政府軍の大統領警護隊をフランス軍の人員が直接的に援助したか、または共に行動したのではないかと示唆した[45]。2007年、BBCによるインタビューの際、カガメは公明正大な審問には協力すると述べた。BBCはこれを次のように評した。「果たしてこんな大任を負いたがる判事がいるかどうかは全く別の問題だ」[46]。
ブルギエールはまた、暗殺について尋問するためカガメの側近9人に対し逮捕状を発行した。2008年11月、ドイツ政府はこの欧州向けの逮捕要請に初めて応え、カガメの儀礼局長であるローズ・カブイェがフランクフルトに到着したところを逮捕した。カブエはフランス当局の拘束下に置かれてブルギエールの審問に応じることに同意を示した[47]。のちに判事である Marc Trevidic がブルギエール報告を精査したところ、内容の大半が依拠している RPF の兵士達による証言は、のちに撤回されていたことが明らかになった[22]。
2010年1月、ルワンダ政府は「1994年4月6日におけるルワンダ大統領専用機ファルコン50登録番号9XR-NNに対する攻撃の原因と背景および犯人に関する調査報告」、通称ムツィンジ報告(Mutsinzi Report)を公表した。複数巻にわたるこの報告書は、フツ・パワーの支持者が攻撃に関与したとしており、フィリップ・ゴーレイヴィッチは次のように評した。「2か月前、ルワンダがイギリス連邦加入を承認された前日、フランスとルワンダは外交関係を正常化した。当然その前にルワンダは公表直前にあるムツィンジ報告の内容をフランスに伝えていた。関係正常化はすなわちフランスが報告書の結論を認めたことを意味する」[48][49]。
ミサイルがどこから発射されたのかについてさえ諸説がある。目撃者の証言はバラバラで、ガソギ丘、ニャンドゥング低地、ルソロロ丘、マサカ丘が挙げられている。一部の目撃者は、使用済みの肩撃ち式ミサイル発射機をマサカ丘で見たと主張している[50]。
2012年、フランスの調査により「1994年にルワンダ大統領の乗機を撃墜し、同国のジェノサイド事件を引き起こしたミサイルは、軍駐屯地から発射されたものであり、ツチの反政府勢力とは無関係だった」ことが突き止められ、カガメに対する嫌疑は晴らされた[51]。調査結果はミサイルの発射地点をカノンベの兵舎だと特定した[52]。この駐屯地は大統領警護隊[22]と空挺コマンド大隊を含むルワンダ軍の管理下にあり、他に対空大隊も駐屯していた[53]。飛行経路はキガリ国際空港に向かう途上でカノンベの兵舎上空を通過する筈だった。
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