チーム青森 チーム青森の概要

チーム青森

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/10 09:57 UTC 版)

チーム青森
基礎情報
別名 フォルティウス(2003年 - 2004年)
チーム目黒(2004年エントリー名)
創設年 2003年
活動休止 2013年
所在地 青森県青森市
使用施設 青森市スポーツ会館
戦績
オリンピック
出場大会
最高成績 7位
世界選手権
出場大会
最高成績 4位
日本選手権
優勝
  • 6回
    • 2004
    • 2006
    • 2007
    • 2008
    • 2009
    • 2010
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来歴

(シーズン表記は世界カーリング連盟の定める区分に従い、各年7月1日を初日とし翌年6月30日を終日とする)

チーム発足まで

  • 2002年4月ソルトレイクシティ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表チーム「シムソンズ」のメンバー、小野寺歩(現姓:小笠原)、林弓枝(現姓:船山)の両名が、同チーム解散後も競技生活を継続し、次期冬季五輪への出場を実現するため、当時、青森市の助役佐藤健一の紹介で財団法人青森市文化スポーツ振興公社に、カーリングの指導などを業務とする嘱託職員として就職。
  • 2003年4月、小野寺の誘いに呼応し、青森県内の大学に進学した「空知こざくら」の目黒萌絵寺田桜子を加えた4名で「フォルティウス」(五輪標語"Citius, Altius, Fortius." =「より速く、より高く、より強く」に由来)を結成[2]。なお、「フォルティウス」の名は2010年に小笠原・船山が中心となって札幌で結成されたチームの名称として再び使用されている(2011年4月から2021年11月まではスポンサー名を冠した北海道銀行フォルティウスとして活動)。

2003年-2004年シーズン

2004年-2005年シーズン

  • 10月、カナダ・ブリティッシュコロンビア州カムループスで開催されたワールドカーリングツアー(WCT)「バートン保険ブローカー・カーリング王冠」でツアー初優勝を飾る[3]。この年のカナダ遠征ではツアー5試合に出場、他4試合は予選落ち。
  • 11月第14回パシフィックカーリング選手権優勝。2005年開催の第27回世界女子カーリング選手権への出場権を獲得する。この時点で日本カーリング協会は「チーム目黒」を2006年トリノ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表の最有力候補と目しており、翌年開催の第22回日本カーリング選手権に優勝し、かつ前述の世界選手権において日本の五輪カーリング競技(女子)出場権獲得が達成された場合、同チームをトリノ五輪代表に決定する方針を表明していた[4]
  • 2月、軽井沢国際カーリング選手権大会優勝。
  • 同大会大会閉幕後、スキップの目黒が負傷(凍結した歩道で転倒、足を骨折)によりチームを一時離脱。同月開催の第22回日本カーリング選手権、3月開催の第27回世界女子カーリング選手権には「マリリンズ」~「河西建設女子」の本橋麻里(後に正式加入)を加えて臨んだ。
  • 2月、第22回日本カーリング選手権出場。最終順位は2位。なお同選手権では日本カーリング協会の規約改正に伴い、チーム名を「青森県協会」に改めている。
  • 同選手権における「チーム土屋」(=「チーム長野」)との対戦結果(予選・決勝リーグとも敗退)を鑑みた日本カーリング協会が、協議の結果「オリンピック冬季競技大会日本代表(女子)選考会」の開催を決定。代表権獲得の条件として、「(国際試合で実績が上回る)「青森県協会(=チーム青森)」には1勝、「チーム土屋(=「チーム長野」)」には2勝すること」を課した[5]
  • 3月、第27回世界女子カーリング選手権出場。最終順位は9位。この結果、2006年トリノ五輪カーリング競技における日本女子チームの出場権(同選手権における過去3年間の国別ポイントの累積によって決定される。この場合は2003~2005年の累積)を獲得。なお同選手権ではリザーブとして「スーパーラヴァーズ」の小林愛が起用された。
  • 4月、本橋麻里が青森明の星短期大学への進学に伴い、正式に加入。
  • 5月、目黒が復帰。

2005年-2006年シーズン

  • 10月、カナダ遠征。WCT4試合に参加し2位1回、3位1回、予選落ち2回。
  • 11月、トリノオリンピック女子カーリング日本代表決定戦出場。第1戦に勝利し、2006年トリノ冬季オリンピック日本代表権を獲得する。
  • 2月、トリノ冬季オリンピックカーリング競技女子出場。最終順位は7位。
  • 3月、第23回日本カーリング選手権優勝。2006年開催の第16回パシフィックカーリング選手権への出場権および、2007年開催の第29回世界女子カーリング選手権日本代表の内定を得る[6]
  • 3月31日、青森市文化スポーツ振興公社より小野寺と林が退職[7]
  • 5月1日、東北運動記者会より東北運動記者特別賞が授与される[8]
  • 5月17日、小野寺・林が競技の第一線から退き、休養する意向を公式に表明[9]。 目黒、寺田、本橋の3人は現役を続行して2010年開催のバンクーバー冬季オリンピック出場を目指す意思を表明した。
  • 5月19日、主力メンバー(小野寺、林)の離脱に伴う「チーム青森」の戦力低下を考慮した日本カーリング協会が、協議により「チーム青森」、「チーム長野」の両者による「2007年世界女子カーリング選手権大会日本代表チーム選考会」の開催を決定[10]
  • 5月28日、「GALLOP」から山浦麻葉が正式加入[11]。それに伴いポジション編成を刷新。(後述の「選手」の項目を参照)

2006年-2007年シーズン

2007年-2008年シーズン

  • 9月、寺田が体調不良を理由として休養する意向を公表[15]。新メンバーとして元東光舗道・河西建設の石崎琴美が加入[16]
  • 10月、カナダ・アルバータ州メディシンハットで開催されたWCT「メイヤーズ・ノリス・ペニーチャリティクラシック」でツアー2勝目[17]。この年のカナダ遠征ではWCT4試合に参加し、優勝1回、5位1回、予選落ち2回。
  • 11月、第17回パシフィックカーリング選手権出場。最終順位は2位。 なお2試合総当たり戦終了時の成績は7勝1敗で中国チームと1位タイであった。そのため事前に行われた[18]、両チーム各4人がストーンを投げ、ハウスの中心までの合計距離を競う「チームドロー」の結果により順位が決定[19]、日本チーム(=「チーム青森」)は同選手権2位となった。その後、同選手権ルールにより[20]同3位の韓国チームと世界選手権出場チーム決定戦を行い、これに勝利。日本女子チームの第30回世界女子カーリング選手権(2008年開催)への出場権を獲得した[21]
  • 12月、休養中だった寺田桜子がチームからの離脱を表明。それに伴い石崎琴美が正式メンバーとして加入[22]
  • 1月、欧州遠征。WCT2試合に参加し、予選落ち2回。
  • 1月21日、第17回パシフィック選手権大会にリザーブとして出場した近江谷杏菜が正式メンバーとして加入[23]
  • 2月、第25回日本カーリング選手権優勝。同年3月に開催される第30回世界女子カーリング選手権の代表権を獲得した[24]
  • 2月、軽井沢国際カーリング選手権出場。準優勝[25]
  • 3月、第30回世界女子カーリング選手権出場。最終順位は日本代表として過去最高の4位[26]

2008年-2009年シーズン

  • 10月、カナダ遠征。WCT3試合に参加し、予選落ち3回。
  • 11月、第18回パシフィックカーリング選手権出場。最終順位は3位で世界選手権への出場を逃す[27]
  • 1月、欧州遠征。WCT2試合に参加し、3位1回、予選落ち1回。
  • 2月、軽井沢国際カーリング選手権出場。3位[28]
  • 2月、第26回日本カーリング選手権優勝[29]、同選手権史上初の4連覇。同年11月に開催される第19回パシフィックカーリング選手権の代表権を獲得した[30]

2009年-2010年シーズン

2010年-2011年シーズン

  • 8月16日、本橋がチーム青森を脱退し、北海道北見市にて新チーム「ロコ・ソラーレ」を結成することを表明した。[35]
  • 10月-11月、カナダ遠征。WCT4試合に出場し予選落ち4回。
  • 第20回パシフィックカーリング選手権出場。最終順位は3位で世界選手権への出場を逃す。
  • 1月、欧州遠征。WCT2試合に出場し、2位1回。

選手

2003年-2006年3月

2006年5月以降

  • 目黒萌絵 (左利き:スキップ)
  • 本橋麻里 (右利き:サード)
  • 山浦麻葉 (右利き:セカンド)
  • 寺田桜子 (右利き:リード)

2007年12月以降

  • 目黒萌絵 (左利き:スキップ)
  • 本橋麻里 (右利き:サード)
  • 山浦麻葉 (右利き:セカンド)
  • 石崎琴美 (右利き:リード)

2008年1月21日以降

  • 目黒萌絵 (左利き:スキップ)
  • 本橋麻里 (右利き:サード)
  • 山浦麻葉 (右利き:セカンド)
  • 石崎琴美 (右利き:リード)
  • 近江谷杏菜(右利き:リザーブ)

2009年11月7日(バンクーバーオリンピック代表決定戦)

  • 目黒萌絵 (左利き:スキップ)
  • 近江谷杏菜(右利き:サード)
  • 本橋麻里 (右利き:セカンド)
  • 石崎琴美 (右利き:リード)
  • 山浦麻葉 (右利き:リザーブ)

2010年11月以降

  • 山浦麻葉 (右利き:スキップ→フォース)
  • 青田しのぶ(右利き:サード→スキップ)
  • 近江谷杏菜 (右利き:セカンド)
  • 石崎琴美 (右利き:リード)

2012年5月20日以降

  • 山浦麻葉
  • 青田しのぶ
  • 近江谷杏菜
  • 石崎琴美
  • 齋藤菜月

2013年・日本カーリング選手権

  • 青田しのぶ(スキップ)
  • 近江谷杏菜(サード)
  • 石崎琴美(リード)
  • 齋藤菜月(セカンド)
  • 近江谷七海(リザーブ)

暫定的メンバー

  • 小林愛 (右利き:リザーブ)
  • 馬渕恵 (リザーブ)
  • 余湖明日香 (右利き:リザーブ)

  1. ^ 朝日新聞 2013年11月2日東京夕刊94版 9面
  2. ^ 「カーリング有力選手が続々青森に」 東奥日報、2003年12月21日(日)
  3. ^ 2004 Barton Insurance Brokers Crown of Curling Archived 2009年10月28日, at the Wayback Machine. ASHAM WorldCurlindTour公式サイト 2010年10月16日閲覧
  4. ^ 「本県カーリング女子世界選手権へ」 東奥日報、2004年11月26日
  5. ^ 「県協会 決勝で敗れる/カーリング」 東奥日報、2005年2月27日(日)
  6. ^ 「カーリングT青森が日本選手権V」 東奥日報、2006年3月12日
  7. ^ 「チーム青森・小野寺さんと林さん 青森の4年間に感謝」 東奥日報、2006年4月4日
  8. ^ 「チーム青森に東北運動記者特別賞」 東奥日報、2006年5月1日
  9. ^ 「T青森の小野寺、林が卒業会見」 東奥日報、2006年5月17日
  10. ^ 「T青森 世界選手権出場は決定戦で」 東奥日報、2006年5月19日
  11. ^ 「チーム青森の新メンバー決まる」 東奥日報、2006年5月28日
  12. ^ 「チーム青森銅メダル/冬季ユニバ」 東奥日報、2007年1月26日
  13. ^ 「チーム青森は3位/軽井沢国際」 東奥日報、2007年2月4日
  14. ^ 「チーム青森は通算4勝7敗で8位」 東奥日報、2007年3月22日
  15. ^ 「チーム青森の寺田選手が休養」 東奥日報、2007年9月3日
  16. ^ 「チーム青森、カナダ合宿へ出発」 東奥日報、2007年9月17日
  17. ^ Meyers Norris Penny Charity Classic Archived 2014年7月27日, at the Wayback Machine. ASHAM WorldCurlindTour公式サイト 2010年10月16日閲覧
  18. ^ 「チーム青森が5勝目/P選手権 」 東奥日報、2007年11月22日
  19. ^ 「チーム青森が2位/P選手権」 東奥日報、2007年11月24日
  20. ^ 2007PACIFIC CURLING CHAMPIONSHIPS RESULT Archived 2007年11月25日, at the Wayback Machine. 日本カーリング協会
  21. ^ 「日本女子が世界選手権出場権獲得」 東奥日報、2007年11月24日
  22. ^ 「寺田桜子がチーム青森を離脱」 東奥日報、2007年12月18日
  23. ^ カーリング チーム青森に近江谷選手加入 Archived 2008年1月25日, at the Wayback Machine. 陸奥新報、2008年1月22日
  24. ^ 「チーム青森が3連覇/日本選手権」 東奥日報、2008年2月11日
  25. ^ 「チーム青森は準優勝/軽井沢国際」 東奥日報、 2008年2月18日
  26. ^ 「チーム青森、スイスに敗れ4位」 東奥日報、2008年3月30日
  27. ^ “チーム青森3位、世界選手権逃す”. 東奥日報. (2008年11月8日). オリジナルの2011年3月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110320085919/https://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2008/20081108090301.asp 
  28. ^ “チーム青森3位/国際カーリング”. 東奥日報. (2008年2月1日). オリジナルの2011年3月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110320085750/https://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2009/20090201163347.asp 
  29. ^ 第26回日本カーリング選手権”. 日本カーリング協会. 2020年7月23日閲覧。
  30. ^ “チーム青森が4連覇/カーリング”. 東奥日報. (2008年2月15日). オリジナルの2011年3月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110320085639/http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2009/20090215162420.asp 
  31. ^ 2009 Twin Anchors Invitational Archived 2011年8月31日, at the Wayback Machine. ASHAM WorldCurlingTour公式サイト 2010年10月16日閲覧
  32. ^ チーム青森完勝、五輪代表に決定 Archived 2009年11月10日, at the Wayback Machine. サンケイスポーツ 2009年11月7日閲覧
  33. ^ チーム青森、新愛称は『クリスタル・ジャパン』 Archived 2009年12月13日, at the Wayback Machine. サンケイスポーツ 2009年12月10日閲覧
  34. ^ 「目黒選手がT青森脱退を正式表明 」 東奥日報、 2010年6月21日
  35. ^ 本橋、北海道で新チーム結成/カーリング Archived 2010年10月19日, at the Wayback Machine.サンケイスポーツ、2010年8月16日
  36. ^ 「来た、見た、勝った! / 延べ5千人大観衆熱狂」 東奥日報、2006年3月13日
  37. ^ “カーリング女子チーム「Delight青森」お披露目 北京五輪目指し始動”. 産経ニュース. (2017年12月19日). https://www.sankei.com/article/20171219-FTBKNHVAEFL2TNHXEVPUJUTSRI/ 2018年3月25日閲覧。 
  38. ^ “新カーリングチーム「Delight青森」始動”. 東奥日報. (2017年12月18日). https://this.kiji.is/315689724881814625 2018年3月25日閲覧。 


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