タンマランカー タンマランカーの概要

タンマランカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/24 02:33 UTC 版)

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タンマランカー
ธรรมลังกา
ᨵᩢᨾᩝᩃᩢᨦᩞᩣ
チエンマイ
在位 1816年 - 1822年5月4日
戴冠 1816年
家系 チェットトン王家
出生 1746年
チエンマイラムプーン
死亡 1822年5月4日
チエンマイチエンマイ
チャーイケーオ
チャンター
配偶者 チャンフォーン
宗教 上座部仏教
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歴史

先代王のカーウィラと同じく、ランパーン県の知事、チャーイケーオの息子で三男である。1782年チエンマイの副王に任命させる。

猛将として知られ、1802年ビルマに寝返ったムアンサートの国主を拿捕しバンコクに送る。また、1804年にはチエンセーンからビルマ軍を追い払いチエンセーンをシャムの図版に加えた。これらの功績により、カーウィラの死後の1816年、チエンマイの国王として認められた。

国王になった後、ラーマ2世白象を送ったことで、白象王とよばれ親しまれた。その治世はワット・プラシン、ワット・プラタートシーチョームトーンを修復、城壁を整備するなど国内のインフラ整備に力を入れた。

子孫

  • マホータラプラテート
  • プラヤー・ラッタナケート (サムセーン) (พระยารัตนเขตต์ (คำแสน)) ・・・チエンラーイの国主。
  • ノーイノーカム (เจ้าอุปราช น้อยหน่อคำ) ・・・ 第四子。チエンマイの副王。プッタウォンの弟・ノーイカーウィラ (เจ้าบุรีรัตน์ น้อยกาวิละ) の孫であるブンナーク姫 () と結婚。孫は、พันตำรวจเอก เจ้าไชยสงคราม สมพมิตร ณ เชียงใหม、チャイソンクラーム王子(ソムパミット・ナ・チエンマイ警察大将)の祖父。
  • シーピムパー王女 (เจ้าหญิงศรีปิมปา) ・・・ファーンの国主、プラヤー・マヒッティウォンサー (ナーンマハーテープ) (พระยามหิทธิวงศา (หนานมหาเทพ))の母。
  • ブンパン王女 (เจ้าหญิงบุญปั๋น) ・・・ファーンの国主、プラヤー・マヒッティウォンサー (ノーイマハーウォン) (พระยามหิทธิวงศา (น้อยมหาวงศ์))の母。
  • ケーオヤウォンカム王女 (เจ้าหญิงแก้วยวงคำ) ・・・プーキエン王子と結婚。チエンラーイの国主、プラヤー・ラッタナケート (スヤ) (พระยารัตนเขตต์ (สุยะ)) の母。

参考文献

関連記事

先代:
ティップチャック
ラムパーン国主
1816年-1822年
次代:
カーウィラ



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