スコット・ディクソン スコット・ディクソンの概要

スコット・ディクソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 23:05 UTC 版)

スコット・ディクソン
Scott Dixon
2021年 インディ500 にて
基本情報
国籍 ニュージーランド
生年月日 (1980-07-22) 1980年7月22日(43歳)
出身地 オーストラリア
クイーンズランド州ブリスベン
インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2003年
所属 チップ・ガナッシ・レーシング
車番 9
出走回数 346
優勝回数 55
ポールポジション 32
ファステストラップ 26
シリーズ最高順位 1位 (2003年、2008年、2013年、2015年、2018年、2020年)
過去参加シリーズ
1994年
1995年-1996年
1997年-1998年

1999年-2000年
2001年-2002年
ニュージーランドFormula Vee
ニュージーランドFormula Ford
オーストラリア フォーミュラホルーデン
インディライツ
CARTチャンプカー
選手権タイトル
1994年

1995年

1996年

1998年

2000年
2003年
2008年
2013年
2015年
2018年
2020年
ニュージーランドFormula Vee クラスII
ニュージーランドFormula Ford クラスII
ニュージーランドFormula Ford クラスI
オーストラリアドライバーズチャンピオンシップ
インディライツ
インディカー・シリーズ
インディカー・シリーズ
インディカー・シリーズ
インディカー・シリーズ
インディカー・シリーズ
インディカー・シリーズ
受賞
1999年
2001年
2001年
2003年

2004年
2008年
2008年

2008年

2009年

2012年
ジム・クラークトロフィー
CARTルーキー・オブザイヤー
ジム・クラークトロフィー
ブルース・マクラーレントロフィー
ジム・クラークトロフィー
インディ500
ブルース・マクラーレントロフィー
ニュージーランド スポーツマン・オブザイヤー
ニュージーランド モータースポーツ殿堂入り
ニュージーランド・メリット勲章

チップ・ガナッシ・レーシングに所属し、米国のインディカー・シリーズに長きに渡って参戦。通算6度のシリーズタイトル獲得(2003年2008年2013年2015年2018年2020年)し、北米で最も成功しているニュージーランド人ドライバーである[1]

概要

インディ・レーシング・リーグに参戦し、2009年8月にミッドオハイオ・スポーツカーコースで開催されたホンダ・インディ200で21勝目を挙げる。2008年のインディ500ではポールポジションから優勝を遂げた[2]

同年8月のケンタッキーで6勝目を挙げ、これはシーズン最多のタイ記録であった。ディクソンは安定してレースを完走することで知られ、2005年のワトキンズ・グレンから2007年のミッドオハイオまで28戦連続完走の記録を達成した[3]。彼はまた90戦の内48回表彰台に上り、その勝率はフルタイム参戦するIRLドライバーの中で最高である。

インディカー・シリーズでは通算6度のシリーズチャンピオンを獲得しており[4]2020年シーズンの時点で歴代の最多記録である。

表彰も数多く、ジム・クラーク・トロフィーを3回(1999, 2001, 2004)、ブルース・マクラーレン・トロフィーを2回(2003, 2008)受賞している。2012年にはニュージーランド・メリット勲章を受章した。

経歴

ディクソンはオーストラリアブリスベンニュージーランド人のロンおよびグレニス・ディクソン夫妻の間に生まれた。両親は共にダートレーサーであった[5]。一家はディクソンが幼少時にオークランドに戻った。ディクソンは7歳でカートレースを始め[6]、13歳でレースのライセンスを獲得して世間の注目を集めた[7]。ニュージーランドでは16歳になるまで路上の運転免許を取得できなかった。

ディクソンはプケコヘ・パーク・レースウェイで行われた日産・セントラによるワンメイクレースで横転し、その様子がTVで放映されて全国から注目された[8]。その後は参加したあらゆるシリーズで勝利を挙げていった。

1994年母国ニュージーランドのフォーミュラ・ビィーでチャンピオン、1998年にはオーストラリアでのフォーミュラ・ホールデンでチャンピオンを獲得し渡米、1999年よりCARTの直下のカテゴリーであったインディ・ライツにヨハンソン・モータースポーツより参戦開始。翌2000年には12戦6勝をあげてチャンピオンを獲得した。なお、チームオーナーのステファン・ヨハンソンは以後ディクソンのマネージャーとなり長年のビジネスパートナーとなった[9]

CART/インディカー・シリーズ

2001年にCARTにステップアップ、マーク・ブランデルの後任としてパックウェスト・レーシングと契約する。第3戦ナザレスで最年少記録での優勝をとげた。この20歳9ヶ月14日での優勝は、CARTは勿論、F1IRLNASCARを含めた世界のメジャーレース史上での最年少ウィナー(当時)としての記録である。 しかし、2002年にパックウエスト・レーシングがシーズン途中で撤退となってしまった。シート喪失のピンチとなったが、急遽チップ・ガナッシ・レーシングがサードカーを走らせてディクソンを起用することになり、シーズン途中でトップチームのシートを獲得することとなった。 2003年よりチームと共にIRLへ転向、開幕戦勝利を含めて3勝をあげて参戦初年度からチャンピオンに輝いた。

2004年-2005年 IRLデビューイヤーにチャンピオン獲得したディクソンだったが、その後2年間は一転して不振に陥る。 ディフェンディングチャンピオンとして迎えた2004年開幕戦はリタイヤに終わってしまうが、第2戦で2位、第3戦で5位と安定した成績を残した。ここから本領発揮と思われたが、その後は1度もトップ5フィニッシュできず、結局この年は1勝も出来ず第2戦での2位がベストリザルトとなった。不振の原因としては所属チームのチップ・ガナッシが使用していたトヨタエンジンが、この年のチャンピオンを獲得したトニー・カナーンの所属するアンドレッティ・グリーンレーシングをはじめとするチームが使用するホンダエンジンに対し、劣勢だったことが挙げられる。事実、前年ディクソンとチャンピオンを争い同じトヨタエンジンを使用するチーム・ペンスキーも、この年は2勝しか挙げられず、トヨタユーザーはすべて苦戦は必至だった。さらに、ディクソン等が使用するパノスシャシーが、その他多くのチームが使用しているダラーラシャシーに対して性能が劣っていたことが、エンジンの劣勢に加えディクソンの成績不振に拍車をかけていた。翌2005年も、第15戦までは1度もトップ5フィニッシュできず、チームメイトも次々変わるというチーム内が混乱していた中で、第16戦のワトキンス・グレンで2年ぶりの優勝を成し遂げ、元チャンピオンの貫禄を見せた。           

2006年 エンジンとシャシーに足を引っ張られた2年間を終えたディクソンにとって、2006年は念願がかなったシーズンとなった。それまで複数のメーカーのコンペティションだったエンジンとシャシーだったが、トヨタが2007年限りでの撤退を表明したところ、それによってディクソンの所属するチップ・ガナッシレーシングやライバルであるチーム・ペンスキーなどのトップチームが次々とホンダエンジンに乗り換えたため、トヨタは1年前倒ししてIRLからの撤退することを決める。これにより、ワンメイク化が1年早まることとなった。そして、チームメイトには前年のチャンピオンのダン・ウェルドンというチャンピオンコンビとなり、チームは磐石の体制となった。そして開幕戦は、予選4位、決勝もチームメイトのダン・ウェルドンが優勝すると自身も5位に入り好調な滑り出しとなる、第2戦はペンスキーエリオ・カストロネベスが優勝しディクソンは2位を確保する、このレースはコーション中にサム・ホーニッシュJr.とウェルドンが接触するというアクシデントがあった。その後第3戦はトップ争いを展開中にリタイア、第4戦インディアナポリスでは速度違反ペナルティで25位となるが第5戦のIRL初のウエットレースとなったワトキンスグレンと第9戦ナッシュビルで優勝し、最終戦までタイトルを争うことが出来た(ランキングは4位)

2008年 チップ・ガナッシ・レーシングで6回のポールポジションと6回の優勝でシーズンチャンピオンに輝いた。

2009年・2010年もそれぞれタイトル争いには絡んだものの、2009年に加入したチームメイトダリオ・フランキッティに2年連続でタイトルを奪われる結果となっている。

2011年のタイトル争いはフランキッティとウィル・パワーのマッチレース状態であり、ディクソン自身はそれに加わることはなかったが、この年で一時終了となったインディ・ジャパンを含む2戦で優勝、ランキング3位を獲得した。


  1. ^ King Dixon
  2. ^ Scott Dixon Career Statistics
  3. ^ Records and Milestones
  4. ^ インディカー最終戦詳報:ディクソンが6度目のシリーズチャンピオン獲得。琢磨は自己最高ランキングを更新”. AUTOSPORT web (2020年10月26日). 2020年10月26日閲覧。
  5. ^ Champcarworldseries_biography:Scott Dixon
  6. ^ Press Democrat Staff Writer
  7. ^ Black Bullet Profile :Scott Dixon
  8. ^ This Is Your Life, TV1, 21 September 2008
  9. ^ 私がこれまで長く一緒に働いてきたドライバーはたったひとり、スコット・ディクソンです Motorsport.com 2017年4月25日
  10. ^ 連勝記録は2012年にウィル・パワーが並び、年間最多勝は2005年のダン・ウェルドンに次ぐ2人目である。


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