ジョセフ・デシェイ
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1824年州知事選挙
憲法の規定によりアデアは二期連続して州知事になることができなかったので、1824年州知事選挙ではデシェイが最初に出馬の意志を公表した候補者となった[14]。1823年遅くには選挙運動を始めており、1824年5月にクリストファー・トンプキンスが出馬を宣言するまで、ほとんど反対は無かった[32]。トンプキンスはバーボン郡出身の知名度の低い判事であり、熱烈に反救済派の原則を支持した[33]。50年間軍人として務めた古参兵ウィリアム・ラッセル大佐も反救済派の立場で出馬した[34]。それほど雄弁でもなく、派の言い分に精通している訳でもなかったが、政敵が少なく、その軍歴によって選挙民の間に大きな尊敬を得ていた[34]。
トンプキンスとその支持者達が主に州内の新聞(その大半は反救済派だった)を通じて選挙運動を行ったのに対し、デシェイは州内を歩き、街頭演説を行った[33]。特に綱領がある訳ではなく、専ら「司法による権利侵害」に反対し、「全権は人民に属する」という考え方に集中した[35]。一般には救済党候補者と認められていたが、歴史家のアーント・M・スティックルズは、デシェイがある郡部では反救済党の言い分を使ったと述べている[36]。デシェイはトンプキンスの判事としての記録を攻撃し、一貫して第二合衆国銀行と現行控訴裁判所を支持していると主張した[35]。トンプキンスはこのことで州内の農夫に対して直接公然と反対の立場を採っているのであり、もしトンプキンスが当選したならば、州は知事ではなく司法府によって治められることを意味すると、デシェイは語った[35]。州内の新聞は、反救済党が債務者を迫害するのと同じやり方でデシェイを迫害していると主張した[37]。またトンプキンスは反救済党の真の選択ではなく、出馬を宣言した最初の候補者であることで支持されているに過ぎないとも告発した[35]。それまで第三の候補者として有権者の支持を訴えていたラッセルの支持層もこの主張に同意し、トンプキンスは反救済党候補者の中で諒解されていた期限の前に出馬宣言した者であり、ラッセルに対して不公平な利点を得ていると主張した[38]。
反救済党はデシェイに対して多くの線で攻撃を始めた。デシェイが具体的選挙綱領を明確にしようとしていないことは、あらゆることを全人民に委ねようとしていることを示していると主張した[35]。デシェイの軍歴を攻撃し、師団長を約束されて初めて米英戦争従軍を志願したのであり、戦闘を邪魔し、ハリソン将軍がイギリス軍とインディアンを追撃しようとしたときもそれを思いとどまらせ、軍務の後は政府に過大な費用を請求したと攻撃した[39]。デシェイの政歴も精査と攻撃の対象になった[40]。反救済党は、特権階級に対して州内農夫の権益を対抗させるという単一の目的でデシェイが特定の立場を支持してきたと主張した[40]。1816年年金法の場合はそれに反対したにも拘わらず、密かに賛成の立場を採り、その成立に協力したと告発した[40]。強力で装備の行き届いた陸軍と海軍に賛成した言い分とは対照的に、実際には軍事予算の増額に反対の投票をしたと主張した[40]。デシェイが信頼に値しないという更なる証拠として、1816年アメリカ合衆国大統領選挙の選挙人として、ケンタッキー州では全会一致でジェームズ・モンローを支持していたにも拘わらず、ウィリアム・H・クロウフォードに票を投じたとも指摘した[40]。
デシェイは選挙運動を始めた頃に有力候補だと一般に認識されていたが、選挙日が近付くに連れて、反救済党の攻撃に耐え、それを薄れさせることができるかを疑う者が出始めた[38]。しかし、デシェイ支持の新聞である「フランクフォート・アンガス」は自信を持ったままであり、救済党の候補者が4対1の差で勝利すると予測していた[38]。投票日にデシェイは総投票数の60%近い38,378票を獲得して快勝し、反救済党が強い郡部でも大多数の票を得た[36]。トンプキンスは22,499票であり、中央ケンタッキー州にその支持が集中していた[1][38]。ラッセルが3,900票で最下位だった[1]。デシェイと議会におけるその同盟者達はこの勝利を、債務者救済を強力に推進することに対する有権者の委任を受けたと解釈した[9]。
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