ジュバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 03:34 UTC 版)
人口動態
年 | 人口 |
---|---|
1973年(国勢調査) | 56,737 |
1983年(国勢調査) | 83,787 |
1993年(国勢調査) | 114,980 |
2005年(推計値) | 163,442 |
2008年の国勢調査では約37万人であったが、内戦状態から国内外に難民として逃れていた住民の帰還が進んで人口は急増しており、これを上回る人口があると考えられている[5]。
経済
ケニア商業銀行がジュバに南スーダン本店を置くとともに11の支店を展開する。ウガンダの保険会社も事務所を有する。南スーダンの民間銀行は3社ある。 南スーダンはスーダン全体の石油産出量の85%を生産するが、包括平和協定期間中は南北で収入を折半することになっている。これは製油所やパイプラインなどのインフラが北スーダンに存在し、原油は北の紅海沿岸ポートスーダンから輸出されるためである。石油利権は国営石油のほか中国・マレーシア・インドなどが保有する。
農業は内戦の影響から完全には回復しておらず、耕作されていない農地も多い。郊外では、家畜の飼育が行なわれている[5]。
製造業はほとんどなく、飲料水やビールの工場などしかない[5]。内戦後の復興期にあるため、建設業や砂利等の採取事業が盛んに行なわれている[5]。
交通
この辺りの白ナイルはバハル・アル=ジャバルと呼ばれ、ジュバの河港は交易の拠点であった。元々ジュバには、ナイル川に架かる橋が1本しかなく(南スーダン全体を見渡しても唯一)、交通のボトルネックとなっていた。2015年から日本のJICAによる支援により、新たな橋「フリーダム・ブリッジ」の工事が進められたが[6]、2016年現在、治安の悪化に伴いJICA関係者が撤収し、一時は完成の見通しの立たない状況となった[7]。その後は新型コロナウイルスの影響もあり、当初の完成予定である2017年より遅れた2022年になって完成した[8]。
内戦前にはハイウェイが通り、ケニア、ウガンダ、ザイールへの中継地でもあったが、現在[いつ?]国連と南スーダン政府が内戦により寸断された道路を復旧し、ウガンダなどに逃げた住民の帰国に努めている。
ジュバ空港は国連やNGOの支援活動に十分機能している。ケニア、ウガンダ、エチオピア、エジプトから毎日航空便が就航している。
鉄道はウガンダとの間で建設合意されているが、ケニアとの間も予想される。
教育
ジュバには2010年にハルツームから戻ってきたジュバ大学がある[9]。
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年8月11日閲覧。
- ^ “南スーダン、戦闘やまず―首都では450人死亡”. ウォールストリートジャーナル (ウォールストリートジャーナル). (2013年12月19日) 2013年12月19日閲覧。
- ^ “Weather Information for Juba”. World Meteorological Organisation (UN). 2011年7月9日閲覧。
- ^ “Average Weather in Juba, Sudan”. World Weather and Climate Information. 2011年7月24日閲覧。
- ^ a b c d 大和田, 2012, 63ページ.
- ^ “南スーダンへの協力を本格再開――象徴となるナイル架橋が着工”. JICA (2015年4月3日). 2016年12月28日閲覧。
- ^ “南スーダン内戦-遠のく「希望の橋」”. 毎日新聞. (2016年12月26日)
- ^ “南スーダンの悲願だった平和と自由の象徴「フリーダム・ブリッジ」が完成”. JICA (2022年5月20日). 2023年1月12日閲覧。
- ^ Bobb, Scott (2011年1月12日). “Juba University Struggles to Build Capacity for Southern Sudan's Reconstruction” (英語). Voice of America. 2011年7月15日閲覧。
- ^ “Rehabilitation Of The Juba Stadium Complete” (英語). スーダンラジオサービス (2011年7月6日). 2011年7月20日閲覧。
- ^ 古谷祐伸 (2011年7月11日). “独立の南スーダン代表、サッカー初戦で初ゴール”. 朝日新聞社 2011年7月20日閲覧。
固有名詞の分類
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