ジャアファル・サーディク 学者として

ジャアファル・サーディク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:10 UTC 版)

学者として

ジャアファルは幼時から祖父のアリーの許で勉学を積み、祖父の死後は、743年のその死まで父のムハンマド・アル=バーキルとともに学んだ。

ジャアファルは、ハディーススンナクルアーンなどのイスラーム諸学に通暁し、さらにイスラーム学に加えて、自然科学・数学・哲学・天文学・解剖学・化学、その他の諸学芸にも通じた。

イスラーム史における化学者として、第一に名の挙げられるアブー・ムーサ-・ジャービル・イブン・ハイヤーン(西欧語ではゲーベルの名で有名)は、ジャアファル・アッ=サーディクの弟子のなかでも特に有名である。ジャアファルは学問における自由主義的寛容さで知られており、異なる信仰あるいは信条をもつ学者らとの議論を切望した。

シーア派では、スンナ派の法学派や神学派の祖のうちの3人までもがジャアファルの許で学んでいるという理由から、彼らをジャアファルの弟子とすべきであると考える。この議論はスンナ派の立場からは、ジャアファルの影響を誇張したものであるとされている。学者らの多くは互いの講義に出席していたのである。

シーア派教義の確立

ジャアファルは前節の学者としてのあり方から見て取れるように、知と理性(アクル)を非常に重視した。これはシーア派学問や神智学的分野のみに留まるものではなく、法学分野に影響を与え、さらにシーア派の教義そのもの、ひいてはその政治思想にも影響を与えるものであった。判断(特に法的判断)における理性の強調は、とりもなおさず判断する者の「知」を重視することになるからである。この判断を社会全体での判断について当てはめると次のように議論が展開する。

ムスリム全体を導くために判断する者、すなわちウンマ(イスラーム共同体)を指導する者にも当然、知あるいは理性が求められる。では、預言者ムハンマド没後どのように「知」「理性」を持つ者が確保されてゆくのか。そこでジャアファルは、イマームこそ、そしてイマームのみが神の言葉たるシャリーア(イスラーム法)を正しく判断できるもの、とする。初代イマーム・アリーは知の完成者として賞賛されるが、ジャアファルは、その知のあり方はアリー家に受け継がれるとしたのである。こうして、ジャアファルにおいて、シーア派イマーム派の根本教義の一つ、アリー家の無謬のイマームが代々指導する共同体を志向するという教義が成立した。

ウマイヤ朝下のジャアファル

ジャアファル・アッ=サーディクは激しく転変する時代に生きた。ジャアファルは、先々代イマーム・アリーの信徒らに重んぜられたが、彼らはウマイヤ朝から見れば異端的な反乱軍であり、ジャアファルの縁者の多くはウマイヤ朝によって死に追いやられたのである。叔父のザイド・ブン・アリーはジャアファルの父のムハンマド・アル=バーキルが没した直後、ウマイヤ朝に対して反乱を起こした。ジャアファルはこれには参加しなかったが、ザイドをはじめ縁者の多くが亡くなり、また罰された。ウマイヤ朝末期の数年間にはこのほかにも多くの反乱があり、750年アッバース朝成立に至る。このときジャアファルは48歳になっていた。

諸々の反乱勢力はジャアファル・アッ=サーディクの支持を求めたが、ジャアファルは自身の見解をはっきりとさせずに、この類の要請をはぐらかしつづけた。ジャアファルはカリフ位を彼に与えるというような文言を持つ書簡を燃やしてしまい「この者は私に従う者ではなく、そもそも神の領域に属することをなすことは、この者にはできない」と言ったという。ジャアファルはその本意を隠し、慎重に沈黙を続け、シーア派教義タキーヤ(信仰秘匿)の確立の淵源はここにあるとされる。タキーヤはすなわち、自らの本来の信条を明らかにすることで自己や他者が危険な状態に置いてしまうような場合、これを隠すことが認められるという教義である。


  1. ^ جعفریان، رسول 『. حیات فکری و سیاسی امامان شیعه علیهم السلام.』انصاریان、2002年、362頁。 
  2. ^ 嶋本隆光 (2007). シーア派イスラーム:神話と歴史. 京都大学出版会 






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