シャテル=ギヨン シャテル=ギヨンの概要

シャテル=ギヨン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/11 06:28 UTC 版)

Châtel-Guyon

行政
フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ピュイ=ド=ドーム県
(arrondissement) リオン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 63103
郵便番号 63140
市長任期 フレデリック・ボニション[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Volvic Sources et Volcans
人口動態
人口 6100人
2012年
人口密度 434人/km2
住民の呼称 Châtel-GuyonnaisまたはBrayauds
地理
座標 北緯45度55分24秒 東経3度03分54秒 / 北緯45.9233333333度 東経3.065度 / 45.9233333333; 3.065座標: 北緯45度55分24秒 東経3度03分54秒 / 北緯45.9233333333度 東経3.065度 / 45.9233333333; 3.065
標高 平均:m
最低:374m
最高:721m
面積 14.06km2
Châtel-Guyon
公式サイト www.chatel-guyon.fr
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地理

クレルモン=フェランの北20km、リオンの北西7km、ピュイ・ド・ドームからは32kmの距離である。サンドン川沿いに町並みが広がる。

由来

シャテル=ギヨン住民は自らをブレイヨーと呼ぶが、これは町の周囲に広がるブレイヨー地方(Brayaud)にちなんでのものである。シャテル=ギヨンという名称の語源は『ギドンの城』(château de Guidon)で、ギドンとはオーヴェルニュ伯ギィ2世のことである。

歴史

1450年代に描かれたデッサン画
サン・クスト小修道院とサン・クスト・シャテルギヨンの村。1777年代のカッシーニ地図より
上空から眺めた十字架の丘と町並み
グラン・テルム

シャテル=ギヨンの名のもととなったオーヴェルニュ伯ギィ2世は、1185年にリオンを守るためカルヴェールの丘に砦を築いた。現在は失われてしまっている城は、1450年代のギヨーム・ルヴェルのデッサンが示すように、正方形の囲い地に3本の円形の塔が隣接していた。

クレルモン司教で弟のロベールとギィ2世はたくさん口論した。したがって、フランス王フィリップ2世は領地を没収し、モールモン家の相続人であったジェロー・ド・モールモンが家督を相続すると彼に与えた。

Castellum Guidonisと呼ばれた村は15世紀にChâteauguionとなり、17世紀にChastelguion、19世紀にChâtel-Guyonとなった。

シャテル=ギヨンのグロリエ集落の南に、小修道院と呼ばれる道の途中、サン・クスト小修道院の遺構がいくらか残っている。この小修道院は、ハドリアヌス4世のもとでモザック修道院が創設している[2]

1165年の別の教皇教書では、アレクサンデル3世はサン・クストがモザック修道院に属すことを確認している。この教会はEcclesiam de Sana-Culturaと呼ばれ、フランス語でサン・クストとなった。

ラテン語のsana culturaとは、その地で行われていた農業活動を指して『健やかで良い文化』、または『賢明な崇敬』という。

教会や小修道院の建物は17世紀終わりから打ち捨てられていたようである。1721年、修理がされていないことを理由に、司教は荒廃した建物と墓地の使用を禁止した。

シャテル=ギヨンの村の建設は、他のスパとは異なる。オーヴェルニュの他の水源の町のように、ガロ=ローマ時代から水源の周囲に築かれたのではなく、むしろ農民たちが保護を求めた十字架の丘の周りにあった。農民の生活はワイン生産を中心としていた。十字架はオーヴェルニュ伯ギィ2世が建設した砦のあった場所を示す。

1817年、コミューンは浴場建設を決定する。老朽化した資産を改修できなくなった自治体は、有名なブロソン兄弟に水源を委託した。フランスの他のスパのように、シャテル=ギヨンも1901年にカジノ建設を選択した。1906年、古い施設に替わるグラン・テルムが完成する。グラン・テルムはオーヴェルニュのロマネスク美術に触発された設計だった。グラン・テルムは4つの建物で構成されていた。入り口のホールと両翼は浴場専用であり、アトリウムと一緒だった。ホールは200平方メートルの面積、高さが9mあり、優雅に湾曲した2つの階段を備えた。床はモザイクや砂岩のタイルで覆われた。壁は多彩色のタイルや、金色や緑色、青色のエナメルで装飾された。

『狂乱の20年代』と呼ばれた時代には、スルタンやアラビアの王、アフリカの名士やインドのマハラジャたちが滞在した。シャテル=ギヨンの水は、そのマグネシウム含有量からヨーロッパで独特のものだった。

スパでは消化系や尿路、そして代謝疾患の治療を専門としている。2008年11月以来、スパではリューマチによる硬化防止治療を認められている。

シャテル=ギヨンとサンティポリートの2つのコミューンは2段階の過程をえて合併した。1973年、コミューンとして首長代理をおいたままサンティポリートはシャテル=ギヨンと合併した[3]。そして2007年6月に2つのコミューンは単純に合併した[4]

人口統計

1975年の国勢調査より、合併したサンティポリートの人口が含まれている。

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
2792 2982 3530 4386 4743 5241 6133 6100

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[5]、2004年以降INSEE[6][7]


  1. ^ Liste des maires 2014, site de la préfecture du Puy-de-Dôme (consulté le 28 septembre 2014).
  2. ^ Cf. Bulle de confirmation des biens et privilèges de l’abbaye de Mozac (1165).
  3. ^ Sous le régime correspondant à l'actuel article L2113-11 du fr:Code général des collectivités territoriales.
  4. ^ Sous le régime correspondant à l'actuel article L2113-9 du CGCT.
  5. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=8757
  6. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  7. ^ http://www.insee.fr


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