シャイン (映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 15:29 UTC 版)
シャイン | |
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Shine | |
監督 | スコット・ヒックス |
脚本 | ジャン・サーディ |
原案 | スコット・ヒックス |
製作 | ジェーン・スコット |
出演者 |
ジェフリー・ラッシュ ノア・テイラー アーミン・ミューラー=スタール |
音楽 | デヴィッド・ハーシュフェルダー |
撮影 | ジェフリー・シンプソン |
編集 | ピップ・カーメル |
製作会社 |
サウス・オーストラリアン・フィルム・コーポレーション フィルム・ヴィクトリア オーストラリアン・フィルム・ファイナンス・コーポレーション モーメンタム・フィルムズ パンドラ・シネマ BBCフィルムズ |
配給 |
ローニン・フィルムズ ファイン・ライン・フィーチャーズ KUZUIエンタープライズ |
公開 |
1996年8月15日 1996年11月20日 1997年3月22日 |
上映時間 | 105分 |
製作国 | オーストラリア |
言語 | 英語 |
製作費 | $5,500,000 |
興行収入 | $35,999,081[1] |
ストーリー
メルボルンの貧しいユダヤ系の家に生まれたデヴィッドは、頑固な父親によって幼い頃からピアニストになるべく英才教育を受けていた。才能を発揮し天才少年と呼ばれた彼は、アメリカ留学を薦められたが、父親が断り話は流れてしまった。家父長制の意識が高く家族を支配していた父親は、虚弱で精神的にも不安定なデヴィッドを手放せなかったのだ。
やがて思春期となったデヴィッドに、イギリスの王立音楽院に奨学金で留学する話が持ち上がった。父親の反対を受けながらも、勘当されてまでロンドンに渡るデヴィッド。優秀な教師に恵まれたデヴィッドは、コンクールで難関であるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し、見事に弾いたものの、その直後に統合失調症で昏倒し、日常生活に支障をきたす状態になってしまった。
デヴィッドの父親は息子の活躍に陰ながら常に注目していたが、オーストラリアに帰国したデヴィッドを受け入れなかった。精神病院に収容されたデヴィッドは、ピアノ演奏を禁じられたまま10年以上を過ごすことになった。しかし、デヴィッドの名声と挫折を知る老婦人の援助で退院することができた。
たまたま訪れたバーでピアノ演奏を始め、人気を得るデヴィッド。父親は一度だけ貧しい身なりでデヴィッドを訪ね、子供時代に初めて獲得したコンクールのメダルを渡したが、多くを語らずに去り、程なくして亡くなった。高名な占星術師のジリアンと知り合い結婚したデヴィッドは、妻のサポートを得て再び演奏家の道を歩み始めた。
キャスト
※括弧内は日本語吹替(過去に発売されたVHS・旧盤DVDにのみ収録)
- デイヴィッド・ヘルフゴット: ジェフリー・ラッシュ(山寺宏一)
- ピーター・ヘルフゴット: アーミン・ミューラー=スタール(有川博)
- ジリアン: リン・レッドグレイヴ(小宮和枝)
- セシル・パークス: ジョン・ギールグッド(納谷悟朗)
製作
演奏はヘルフゴット自身が行なっており、手のみのシーンは本人のもの[2]。 なお、ヘルフゴットを描いたドキュメンタリー映画『デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり』が、2018年3月に公開されている[3]。
主役を演じたジェフリー・ラッシュは、14歳までピアノを習っており、この映画のために数十年ぶりに練習を再開した[4]。
- ^ “Shine” (英語). Box Office Mojo. IMDb. 2020年5月13日閲覧。
- ^ “Shine (1996) - Crazy Credits” (英語). IMDb. 2020年5月13日閲覧。
- ^ “映画『シャイン』主人公モデルのドキュメンタリー”. ユナイテッドピープル. 2022年5月27日閲覧。
- ^ “Shine (1996) - Trivia” (英語). IMDb. 2020年5月13日閲覧。
- ^ “Shine (1996)” (英語). Rotten Tomatoes. 2020年5月13日閲覧。
- ^ “Shine (1996) Reviews” (英語). Metacritic. 2020年5月13日閲覧。
- ^ Judith Schlesinger (1998年5月24日). “Putting a spotlight of truth on 'Shine'” (英語). The Baltimore Sun 2020年5月13日閲覧。
- 1 シャイン (映画)とは
- 2 シャイン (映画)の概要
- 3 作品の評価
- 4 外部リンク
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