コンスタンティウス2世
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コンスタンティノープルとの関係
コンスタンティウス2世の時代はコンスタンティノープルが大きく発展した時代でもある[10][11]。コンスタンティウス2世は東方正帝としての期間の多くをアンティオキアで過ごし、唯一の正帝となってからはイタリア本土のメディオラヌムを拠点としたが、コンスタンティノープルにおいても聖ソフィア大聖堂や聖使徒教会の建設といった事業を行った[11]。コンスタンティノープルを359年に属州都市から地方自治都市へと昇格させたのもコンスタンティウス2世であったし[12]、コンスタンティノープルに元老院を設けたのもコンスタンティウス2世であったと考えられている[13][15]。コンスタンティヌス1世がコンスタンティノープルの建設に着工した324年はコンスタンティウス2世が副帝に任じられた年でもあり[10]、コンスタンティノープルが建設されていた期間はコンスタンティウス2世が副帝として過ごした期間と重なっていた[10]。歴史学者の南雲泰輔は、コンスタンティウス2世にとってコンスタンティノープルは特別な感慨のある都市であった可能性があるとしている[10]。
脚註
参考文献
- 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』東海大学出版会、1999年。ISBN 9784486014317。
- 南雲泰輔 著「ビザンツ的世界秩序の形成」、南川高志 編『378年 失われた古代帝国の秩序』山川出版社、2018年。ISBN 9784634445024。
- 根津由喜夫『ビザンツの国家と社会』山川出版社、2008年。ISBN 9784634349421。
- 南川高志『ユリアヌス 逸脱のローマ皇帝』山川出版社、2015年。ISBN 4770410344。
関連項目
- ^ Constantius II Roman emperor Encyclopædia Britannica
- ^ 南川2015、p.22。
- ^ 尚樹1999、pp.52-53。
- ^ a b c 尚樹1999、p.53。
- ^ a b c d e 南川2015、p.30。
- ^ 南川2015、p.32。
- ^ a b 南川2015、p.34。
- ^ a b c 尚樹1999、p.34。
- ^ 南川2015、pp.56-57。
- ^ a b c d 南雲2018、p.151。
- ^ a b 根津2008、p.7。
- ^ [ローマ史]『ブリタニカ国際大百科事典』第2版、TBSブリタニカ、1993年。
- ^ 南川2015、p.13。
- ^ 尚樹1999、p.56。
- ^ コンスタンティヌス1世の時代に元老院が設けられたとする記録もあるが真偽は不明である[14]。
- 1 コンスタンティウス2世とは
- 2 コンスタンティウス2世の概要
- 3 生涯
- 4 コンスタンティノープルとの関係
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
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