クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクスの概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクスの解説 > クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクスの概要 

クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 03:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
クイントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス
Quintus Caecilius Metellus Numidicus
官職 法務官紀元前112年
執政官紀元前109年
前執政官紀元前108年-107年
監察官紀元前109年
出身階級 プレブス
家名 カエキリウス・メテッルス家
氏族 カエキリウス氏族
出生 紀元前160年
死亡 紀元前91年
指揮した戦争 ユグルタ戦争
テンプレートを表示

出自

カエキリウス・メテッルス家系図

プレブスカエキリウス・メテッルス家出身で、父は紀元前142年にコンスルを務めたルキウス・カエキリウス・メテッルス・カルウスである。また、クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・マケドニクスは伯父、ルキウス・カエキリウス・メテッルス・ダルマティクスは兄弟、カエキリア・メテッラ・カルウァは姉妹に当たる。子にクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス。姪でルキウスの娘カエキリアはスッラに嫁ぎ、スッラ派の軍人で、政治家であり美食家としても有名なルキウス・リキニウス・ルクッルスはカエキリアの息子で甥に当たる。

生涯

若い頃はアテネカルネアデスのもとで学んだ。ローマでは教養のある優れた雄弁家として名を馳せた。職歴はクァエストル紀元前126年)、トリブヌス紀元前121年)、アエディリス紀元前118年)、プラエトル紀元前115年)、シチリア総督紀元前114年)、コンスル(紀元前109年)、ケンソル紀元前102年)である。

紀元前109年にはコンスルとして軍を率い、ヌミディアにおいてユグルタと戦った。戦いは長期化し、配下の武将ガイウス・マリウスのと対立が顕在化した。紀元前108年にマリウスはローマへ戻り、紀元前108年のコンスルに立候補して当選した後はプロコンスルとしてユグルタとの戦争を継続した。しかしユグルタによるローマ軍高官への買収工作など軍の腐敗が明らかになっていたこともあり、戦争の泥沼化の責任を取ることになったメテッルスは「ヌミディクス」の尊称と共に任地を去った。

ユグルタ戦争の終結後、メテッルスは閥族派の指導者となり、民衆派のリーダーとなったマリウスの改革に抵抗した。マリウスの軍制改革にも強く反対している。

紀元前102年に従兄弟のガイウス・カエキリウス・メテッルス・カプラリウスと共にケンソルに選出された。在任時にはマリウス派の1人ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスを元老院から追放しようとしたが不成功に終わった。後にサトゥルニヌスはマリウスと農地法を提案したが、その条項の1つには退役軍人に土地を与えることが挙げられていた。メテッルスはこれに反対し、マリウスが元老院議員に賛意を示す宣誓を行うよう求めたときも最後まで拒否した。その後、メテッルスは自主亡命の形でローマを去った。

紀元前99年、メテッルスは息子のクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウスの努力の甲斐あってローマに戻ってきた。息子メテッルスの尊称ピウス(慈悲深い人)はこれを受けている。その後パラティヌスの丘の邸宅で余生を過ごし、紀元前91年に没した。

関連項目




「クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス」の関連用語

クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS