カスペル・スポルク
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カスペル・スポルクの騎士鉄十字章の行方
現在(2003年)において、カスペル・スポルクが受章した騎士鉄十字章の所在は不明である。1945年春の初旬、重傷を負ってドイツに後送されたスポルクは自身が受章した勲章をあるカトリック司祭に手渡した。後にスポルクの家族(姉妹)はドイツ赤十字社の協力を得て、何年もの間これらのスポルクの勲章の所在を突き止めようとしたが、その痕跡すら見つけることはできなかった。
ちなみに、武装親衛隊オランダ人義勇兵として(武装親衛隊の外国人としても)最初に騎士鉄十字章を受章(1943年2月20日)したヘラルダス・モーイマンの騎士鉄十字章は、1945年5月4日にモーイマンが降伏した相手のアメリカ兵に奪われた(と、モーイマンは1967年のインタビューで明らかにした)。そのため、1950年代にモーイマンは第二の騎士鉄十字章を購入した(が、モーイマンはその第二の騎士鉄十字章を自身の親しい戦友であり、勲章蒐集家でもある人物に手渡した)。2003年の数年前にその人物は死去し、その人物の子息は最終的にロッテルダム在住の有名な蒐集家にモーイマンの(第二の)騎士鉄十字章を売却した。
そのほか、武装親衛隊オランダ人義勇兵第二の騎士鉄十字章受章者(1944年8月23日)、デルク=エルスコ・ブラインスが受章した騎士鉄十字章は現在(2003年)も彼の家族の手元にある[1]。
勲章
- 戦傷章黒(1942年7月10日)
- 東部戦線従軍記章(写真で第2ボタンホールに略綬を着用しているのが確認できる)
- 二級鉄十字章(1944年1月30日)
- 一級鉄十字章(1944年1月30日)
- 騎士鉄十字章(1944年10月23日)
- ^ Axis History Factbook・View topic - mooyman - http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=51&t=39666
- 1 カスペル・スポルクとは
- 2 カスペル・スポルクの概要
- 3 カスペル・スポルクの騎士鉄十字章の行方
- 4 関連項目
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