オットー・ルーニング 生涯

オットー・ルーニング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 15:19 UTC 版)

生涯

1990年、ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。名前から分かるようにドイツ系である。祖父はテノール歌手、父はピアニスト、作曲家、指揮者であった。スイスチューリッヒフェルッチョ・ブゾーニとフィリップ・ヤルナッハに師事して作曲を学ぶ。1918年、ブゾーニから電子機器を使った作曲の可能性について教えられる。1920年米国に戻り、その後、アリゾナ大学コロンビア大学ジュリアード音楽院などで教鞭をとる。1950年代初期にコロンビア大学でウラジミール・ウサシェフスキーと共に電子楽器磁気テープを使った音楽表現の研究を行い、これが、後にテープ音楽と呼ばれるものになる。1959年にはコロンビア-プリンストン電子音楽センター(現コロンビア大学コンピュータ音楽センター)を設立した。

ルーニングは米国における電子音楽の先駆者として、また、現代音楽界の重鎮として様々な活動を行っている。その中でも米国音楽センターの創立メンバーの一人(他はアーロン・コープランドマリオン・バウアーハワード・ハンソン、ハリソン・カール、クインシー・ポーター)であり、かつ初代会長として米国の現代音楽の発展のために精力的に活動した功績は大きい。

作品

ルーニングは電子音楽以外にもフルートなどの吹奏楽器のための作品を多数残している。彼の名を高めたテープ音楽は今日では作品として鑑賞されることはほとんど無い。しかし、「叙情的光景」(オーボエと弦楽のための作品)や「伝説曲」(フルートと弦楽のための作品)などの前衛色の無い作品は今日でも小品として演奏されることも少なくない。

また、エミリー・ディキンソンジョージ・ゴードン・バイロンウィリアム・ブレイクなどの詞に付けた初期の歌曲が知られている。

関連サイト

「HISTORY」の頁にルーニングに関する記載がある。
「What is the American Music Center?」の頁に設立の経緯が記載されている。



「オットー・ルーニング」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オットー・ルーニング」の関連用語










10
16% |||||

オットー・ルーニングのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オットー・ルーニングのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオットー・ルーニング (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS