エビネ属
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 03:44 UTC 版)
エビネブーム
エビネを栽培すること自体は、日本で古くから行われていた。大柄なランであり、地味ながら味わいを感じられるものから、キエビネのように華やかなものまでがあり、山野草ブームなどより前から、少しずつ栽培は行われた。17世紀末に出版された園芸書『花壇綱目』にはエビネの栽培法が記されている。そういった中で、生育範囲は次第に減少傾向にあった。それでも普通のエビネは身近にごく普通に見られるものであった。キエビネなどは、和歌山県南部では谷間が真っ黄色に見えるほどに咲く場所もあったと言う。
この状況が大きく変化したのは、1960年代末からの山野草ブームの流れの中で、1970年代後半より起こったエビネブームである。あっと言う間に全国に広がったブームは、各地で展覧会が開かれ、雑誌が発刊され、古典園芸植物や東洋ランに習う形でたくさんの品種が命名された。品種名のついたものの中には高額で取引されたものもある。しかし、それらの新品種は以前から栽培維持されていたわけではなく、大部分が山取り品であった。当然ながら新たな株を求めて山に入るものが後を断たず、数年にしてもはや野外でエビネを見るのが困難な状況となった。
ところが、エビネ属はウイルスなどの伝染病にかかると観賞価値が著しく下がる特性があり、東洋ランのように投機対象にできるほどの栽培安定性は無かった。ウイルス防除の煩雑さに疲れた趣味家が次々と撤退し、このブームは十年をもたずして終焉。現在では山野草の中の一ジャンルとして安定した位置にあるが、販売流通しているのは種子から新規育成された交配種が大部分で、往時の野生品種で現存しているものは数えるほどしか無いようである。
幸いというべきかどうか、エビネは人工増殖がしやすい上に、カンランほど高値安定なイメージが定着しなかったためもあり、現在では山奥までもぐりこんで株漁りをする者が絶えない、という状況はさすがになくなった。その結果、目立たないところでは花を見かけることもないことはない、という程度には回復しているところもある。
なお、この間、ナツエビネはこのような流れの埒外に置かれたままで、大規模な乱獲はなかったようである。これは、高温を嫌い暖地で栽培すると落蕾したり花色が非常に悪くなること、個体変異が少なく趣味家の収集欲をそそらなかったこと、他種と交配すると後代の稔性が悪く、交配親としての利用価値に乏しかったなどの理由によるかと思われる[要出典]。
固有名詞の分類
- エビネ属のページへのリンク