インドネシアにおける売買春
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歴史
古代インドネシアにおける売春の最初期の報告の1つは中国の書物にある。旧唐書および新唐書(西暦640年頃)は、ジャワのホ・リンの国には、数多くの「毒の女」がいた、と記している。これらの売春婦と性交したものは膿んだ傷を受け、その後死んだという。これが古代ジャワにおける売春およびその性感染症とのつながりについての最初期の記録であった[23]:119。
植民地時代以前のインドネシアの売春についてはほとんど知られていないが、性奴隷の購入と準契約的な性的関係は存在したと考えられる。インドネシアにおけるイスラームの拡がりの後、イスラームが契約結婚を非難したために売春が増加したと考えられている[24]。ジャワの王たちが多くの性奴隷抱えていたのに対して、家族の支援のないバリの未亡人は彼らの王によって売春を強制されたかもしれない[25]。
19世紀初頭のジャワ語写本セラト・チェンティニは、中央ジャワおよびジョグジャカルタにおける売春産業について言及している。この写本では、顧客を満足させるためにジャワの売春が会得している様々な性交体位および技術について記載されている。セラト・チェンティニは、かつてはイモギリ陵墓近くに繁盛している売春宿があったとも述べている[26]。
初期オランダ植民地時代、性的満足を得たいと望むヨーロッパ人の男たちが現地の売春婦(愛人)を雇い始めた。これは金銭的に動機付けされた地元の女性や一部の家族によって引き受けられ、こういった家族は自分達の娘を自発的に提供した。異人種婚は推奨されなかった、あるいは完全に禁じられていたため、この措置はオランダの指導者らによって認められた[25]。
王立オランダ領東インド陸軍兵士やオランダ領東インドの役人が保持する愛人の数が減少した1800年代初頭に、大規模な売春が始まった。他地域での仕事を探して現地の男性が妻を残していったこともその始まりに寄与した[24]。1852年、植民地政府は梅毒やその他の性感染症について検査するため売春婦に定期的な検診を課し始めた。売春は身分証明証も携帯しなければならなかった。これらは売春の成長を抑制せず、売春は1800年代末に劇的に増加した[27]。
1852年の法律は後の1913年に別のより厳格な公衆道徳法に置き換えられ、「故意に第三者と他人の姦通をもたらし、これを彼の職業とすること」(売春あっせん)を犯罪化した。売春については言及されなかった。これらの法律の施行はほとんど不可能であることが判明し、一時期、売春宿の捜査は知事の許可を必要とした[28]。
日本占領時期のインドネシアでは、既存の売春婦は特別な売春宿において日本軍のために働くために選抜された。その他の女性と少女(インドネシア人とオランダ人の両方)は「慰安婦」にさせられた。第二次世界大戦後、僻村から都市への女性の移住は高い離婚率と相俟って、売春の増加の別の原因となった[29]。
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