イマヌエル・カント エピソード

イマヌエル・カント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:59 UTC 版)

エピソード

名と姿

カントの両親は、彼をエマヌエル(Emanuel)と名づけたが、長じてカントはヘブライ語を知り、その知識からイマヌエル(Immanuel)とみずから改名した(「イマヌエル」עמנואלとはヘブライ語で「神は我らと共にあり」という意味である)。カントの容貌については、弟子の証言によると、青く小さな、しかし輝く瞳をもった小柄な人物であった。身体は骨格、筋力ともにやや貧弱。正装する時には服が身体から滑り落ちるのを防ぐため、いわゆる「留め具」が欠かせなかったという。身体の割に頭は若干大きめだった。体躯は貧弱であったものの、有名な規則正しい生活習慣など健康管理に心を配り、顔色も良く、最晩年まで大きな病気とは無縁であった。

青少年教育批判

カントは、規則で生徒たちを縛り上げる厳格な教育方針で知られたフリードリヒ学校に入学し、その教育方針を身をもって経験した。しかし、後に彼は、この学校の教育方針について批判を記した。啓蒙の哲学者カントの面目躍如と言える。

独身主義者カント

カントは生涯独身を通した。彼が哲学の道に入る契機となったニュートンも独身であったが、彼の場合は、仕事に忙殺され恋愛の暇がなかったと言われる。カントの場合は、女性と距離を置き、積極的な求婚をしなかったためだとされる。真相は不明で、カントもまた、ニュートンのように仕事に忙殺されていた可能性も否めない。

教育者カント

カントはケーニヒスベルク大学の哲学教授となったが、その授業の様子を、当時の弟子のひとりであるヘルダーが伝えている。ヘルダーによれば、カントの講義は精彩に富み魅力あるものであった。カントはいきいきと語る熱心な教師であった。カントが旺盛な知的好奇心を持ち、その話題が豊かであったことからも、教師としてのカントの姿が彷彿とされる。

規則正しい人カント

カントは規則正しい生活習慣で知られた。早朝に起床し、少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行った。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。これは、カントの性格の一部でもあったようで、素行の悪さの故に従僕ランペを解雇したあと、新しい従僕になじめず、メモに「ランペは忘れ去られるべきである」と書き付けた。

ある日いつもの時間にカント先生が散歩に出てこないので、周囲の人々はなにかあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントはジャン=ジャック・ルソーの「エミール」を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントはルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて「わたしの誤りをルソーが正してくれた。目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と述べている[55]

趣味人カントの食卓

規則正しい散歩の後、カントは、夕方から友人を集めて会食した。カントの論敵の一人であるヨハン・ゲオルク・ハーマンは、同時に親しい友人でもあり、しばしばこの食事会の客となった。カントは、ウィットに富む談話を好み、世界の最新情報にも通じ、その話題の広さには会食者も感嘆した。しかし、客が哲学の話題に触れると、露骨に嫌な顔をしたと言われる。

近くにいた人物の回想で、ヤハマン『カントの生涯』[56]に、多くの逸話がある。


  1. ^ 井上円了『哲学要領 前編』哲学書院、1887年、96頁”. 哲学要領. 前編 (2022年1月30日). 2022年1月30日閲覧。
  2. ^ 以下は、Manfred Kuehn, Kant. A Biography. Cambridge: Cambridge University Press, 2001. また菅沢龍文・小谷英生「カント年譜:物語風に」牧野英二編『新・カント読本』法政大学出版局、2018年、348-68頁を参考にしている(というかすべきである)。とりわけ「カント年譜」は簡便である。以下では煩雑を避けるため、引用以外は注として記さない。
  3. ^ アカデミー版全集20:44。
  4. ^ アカデミー版全集10:56。
  5. ^ 坂部恵『カント』講談社学術文庫、2001年、152-3頁。
  6. ^ アカデミー版全集18:69。
  7. ^ この書評はクリスティアン・ガルヴェの元原稿にヨハン・ゲオルク・ハインリッヒ・フェーダーが手を加えたものであり、「ゲッティンゲン書評」や「ガルヴェ・フェーダー書評」と呼ばれ、『純理』の受容過程を見るために重要である。同書評については、小谷英生「隠された友情 : 『ゲッティンゲン書評』をめぐるカント‐ガルヴェ往復書簡について」『群馬大学教育学部紀要:人文・社会科学編』第63号、2014年、55-68頁。
  8. ^ アカデミー版全集8:35。
  9. ^ 「啓蒙とはなにか」という問いに対しては、メンデルスゾーンを含め、様々な著述家が解答を与えようとしていた。そうした議論のきっかけの一つとなったのは、フリードリヒ大王がベルリン王立アカデミーに出させたという懸賞課題であった。Hans Adler (Hg.), Nützt es dem Volke, betrogen zu werden? Est-il utile au Peuple d'être trompé? 2 Bände. Stuttgart: Frommann-Holzboog, 2007.
  10. ^ 例えば坂部恵『理性の不安:カント哲学の生成と構造』(勁草書房、1976)は、『視霊者の夢』(1766)にその一契機を見る。
  11. ^ アカデミー版全集6:224。
  12. ^ アカデミー版全集6:230。
  13. ^ アカデミー版全集6:237。
  14. ^ アカデミー版全集6:312。
  15. ^ アカデミー版全集6:313。
  16. ^ アカデミー版全集6:315。
  17. ^ アカデミー版全集6:330、また『永遠平和のために』「第二確定条項」を参照。
  18. ^ 「だから中国と日本が、そのような(極悪非道な)客人たちを試した上で、以下の措置を取ったことは賢明であった。すなわち中国は来航は許したが入国は許さなかった、日本はそれどころか来航さえもオランダ人というただ一つのヨーロッパ民族にしか許容しなかったし、しかも日本人はそのオランダ人さえ捕虜のように扱い、自国民との共同関係から排除しているのである」 平子友長「カント『永遠平和のために』のアクチュアリティ : ヨーロッパ帝国主義批判の書として」『唯物論 : 東京唯物論研究会会報』第79号、東京唯物論研究会、2005年、 27-42頁、 NAID 120001009884
  19. ^ a b c d #ポリアコフ III,p.248-251.
  20. ^ 下村 1972, p.111-112.
  21. ^ #ポリアコフ III,p.249. カント「たんなる理性の限界内の宗教について」カント全集10巻、岩波書店、p168-169.
  22. ^ カント「実用的見地における人類学」カント全集15、p138-139.カントはユダヤ人を「パレスティナ人」と表記している。
  23. ^ #ポリアコフ III,p.249-250.
  24. ^ カント全集18巻、岩波書店、p.73-74.
  25. ^ a b c 青野(1970):4ページ
  26. ^ 青野(1970):246ページ
  27. ^ a b Jon M. Mikkelsen 2013, p. 3.
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  29. ^ a b Julie K. Ward 2016.
  30. ^ a b c d e Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen, Ch,4-III.久保光志訳「美と崇高の感情にかんする観察」第4章、#カント 2000,p.378-380。
  31. ^ a b c d e Pauline Kleningeld 2007.
  32. ^ 高田紘二 2002, pp. 91–92.
  33. ^ Aaron Garrett 2004, pp. 130–132.
  34. ^ Aaron Garrett 2000, pp. 171–177.
  35. ^ Andrew Vallis 2005, pp. 132–139.
  36. ^ a b c #カント 2000,p.381-382.
  37. ^ #カント 2000,p.383.
  38. ^ Von den verschiedenen Racen der Menschen 1777(福田喜一郎訳「様々な人種について」『カント全集 第3巻』岩波書店 2001年
  39. ^ Bestimmung des Begriffs einer Menschenrace 1785.(望月俊孝訳「人種概念の規定」『カント全集 14』岩波書店 2000年)
  40. ^ #カント自然地理学,p.227.
  41. ^ Jon M. Mikkelsen 2013.
  42. ^ Charles W. Mills 2017.
  43. ^ 「人間の黒い色に関するいくつかの注目すべき点」(自然地理学 第2部第1編第2節)、#カント自然地理学、p.223.
  44. ^ 「この色の原因についての考察」(自然地理学第2部第1編第3節)、#カント自然地理学、p.225.
  45. ^ Todd Hedrick 2008, p. 263.
  46. ^ a b Jon M. Mikkelsen 2013, pp. 4–5.
  47. ^ Emmanuel Chukwudi Eze 1997.
  48. ^ Tsenay Serequeberhan 1996.
  49. ^ Jon M. Mikkelsen 2013, p. 6.
  50. ^ 加藤将之 1957, p. 27.
  51. ^ 広瀬悠三 2010, p. 71.
  52. ^ a b Persson Anders (2006). “Hadley's Principle: Understanding and Misunderstanding the Trade Winds.”. History of Meteorology (International Commission on the History of Meteorology) 3. 
  53. ^ 気象学と気象予報の発達史: 気象予測の考え方の主な変遷(4)大航海時代と科学革命”. 気象学と気象予報の発達史 (2020年4月8日). 2020年10月7日閲覧。
  54. ^ 堤之智. (2018). 気象学と気象予報の発達史 初期の風の力学理論. 丸善出版. ISBN 978-4-621-30335-1. OCLC 1061226259. https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/?book_no=302957 
  55. ^ アカデミー版全集20:44。
  56. ^ ヤハマン『カントの生涯』(木場深定訳、弘文堂、1947年/角川文庫、1953年/理想社(改版)、1978年)






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