アルテミシオンの海戦 戦いの影響

アルテミシオンの海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/05 15:29 UTC 版)

戦いの影響

テルモピュライ・アルテミシオンの防衛線を突破されたギリシア側は、戦略上の拠点となるエウリポス海峡を制圧され、アッティカ以北は完全にペルシアの手中に収まった。ペルシア遠征軍は、進路上のポリスを破壊・劫略しつつ、クセルクセス1世率いる本隊がアッティカに侵入してアテナイを目指し、別働隊はパルナッソス山を迂回してデルポイに向かった。

ギリシア艦隊はアルテミシオンから撤退した後、艦隊の集結地をどこにおくかで合議を計った。スパルタ、コリントスなどのペロポネソス半島のポリスは、かねてからイストモス地峡での防衛線構築を主張していたため、躊躇なくイストモスに集結する考えを示したが、アテナイ軍はアテナイ市民の避難を優先させるため、サラミスへの集結を強く要請した。結局、艦隊はサラミス島に集結することになるが、この決定が、ペルシア戦争最大の決戦となるサラミスの海戦の伏線になるのである。

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