アランデル伯爵 アランデル伯爵の概要

アランデル伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:09 UTC 版)

アランデル伯爵
Earl of Arundel
アランデル伯爵オービニー家の紋章。
創設時期1138年ごろ
創設者スティーヴン王
貴族イングランド貴族
初代初代伯ウィリアム・ド・オービニー
現所有者36代伯エドワード・フィッツアラン=ハワード
付随称号マルトレイヴァース男爵
フィッツアラン=クラン=オズワルデスタ男爵
現況存続
邸宅アランデル城ほか
1660年以降、ノーフォーク公爵位の従属爵位。

1138年頃にウィリアム・ド・オービニーが叙されたのに始まる。2度の女系継承を経てフィッツアラン家英語版ハワード家へと移り、1660年にハワード家がノーフォーク公爵位に復権したことで以降ノーフォーク公爵位の従属爵位となる(ノーフォーク公爵家の法定推定相続人はこの爵位とサリー伯爵位を儀礼称号として名乗る)。2016年現在のアランデル伯爵位保有者は第18代ノーフォーク公爵エドワード・フィッツアラン=ハワードである。断絶による再創設が無く連綿と続く爵位としては、英国最長・最古の爵位である。

歴史

ノーフォーク公爵家の紋章。現在アランデル伯爵位を保有している同家の紋章には、ルーツのひとつとしてアランデル伯爵オービニー家の紋章が入っている[1]

イングランドヘンリー1世(1068年 - 1135年)の2番目の王妃アデライザ・オブ・ルーヴァン(1103年 - 1151年)の再婚相手であるウィリアム・ド・オービニー(? - 1176年)1138年頃に叙されたのに始まる[2][3]

その曽孫である5代アランデル伯爵ヒュー・ド・オービニー英語版(? - 1243年)が男子なく死去したことで最初の女系継承が発生し、ヒューの妹イザベルと第3代オスウェストリー卿ジョン・フィッツアラン英語版(1200年 - 1240年)の間の長男であるジョン・フィッツアラン英語版(1223年 - 1267年)が第6代アランデル伯爵位を継承することになった[2][4]

その孫である8代アランデル伯リチャード・フィッツアラン英語版(1267年 - 1302年)1289年にアランデル伯として議会招集令状が出されており、これ以前のアランデル伯爵と別に新たなアランデル伯爵位をもう一つ与えられたとみられる[5][6]

その息子である9代(2代)アランデル伯エドムンド・フィッツアラン(1285年 - 1326年)サリー伯爵(ワーレン伯爵)ワーレン家の女子相続人アリス英語版(1287年 – 1338年)と結婚したため、夫妻の長男である10代(3代)アランデル伯爵リチャード・フィッツアラン英語版(1313-1376)はサリー伯爵(ワーレン伯爵)位も継承した[2][7]

その子である11代(4代)アランデル伯リチャード・フィッツアラン(1346年 - 1397年)は、リチャード2世とその側近に対抗した訴追派貴族の一人だったが、1397年にリチャード2世によって大逆罪で処刑され、爵位も剥奪されている[8][9]。しかしリチャード2世がランカスター家ヘンリー4世(訴追派貴族の一人だった)のクーデタによって王位を追われたため、1400年10月にはアランデル伯の私権剥奪は解除され、息子のトマス・フィッツアラン英語版が12代(5代)アランデル伯に復帰した[5][10]。12代伯には子供がなく、その死後には、10代伯に遡っての分流であるジョン・フィッツアラン英語版(1385年 – 1421年)が13代(6代)アランデル伯爵位を継承した[5][11]。ただしサリー伯爵位は12代アランデル伯の死去とともに保持者不在となった[12]

13代伯の死後、その長男ジョン・フィッツアラン英語版(1408–1435)が14代(7代)伯、次いでその長男ハンフリー・フィッツアラン英語版(1429年 – 1438年)が15代(8代)伯を継承したが、15代伯が幼くして死去したことで、13代伯の次男ウィリアム・フィッツアラン英語版(1417–1487)が16代(9代)伯を継承した[5]

その曽孫である19代(12代)伯ヘンリー・フィッツアラン(1512年 - 1580年)は、女子相続人であるメアリー英語版(1540年 - 1557年)を第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワード(1536年 - 1572年)に嫁がせており、19代伯が生存している男子なく死去した際に2度目の女系継承が発生して、4代ノーフォーク公爵とメアリーの長男であるフィリップ・ハワード(1557年 – 1595年)が20代(13代)アランデル伯爵となった(4代ノーフォーク公は処刑・爵位剥奪されていたのでフィリップは母方の爵位のみ継承した)[13][14]

この20代伯はカトリック信仰を貫いて大逆罪に問われ、1589年にアランデル伯爵位を剥奪されているが、その息子トマス・ハワード(1585年 – 1646年)1604年に第21代(14代)アランデル伯爵位に復権した。また1627年議会の決議でマルトレイヴァース男爵とフィッツアラン=クラン=オズワルデスタ男爵がアランデル伯爵と一体の爵位とされた[5]

その孫の第23代(16代)アランデル伯爵トマス・ハワード(1627年 – 1677年)1660年に第5代ノーフォーク公爵位に復権した[15]。この際にアランデル伯爵位はノーフォーク公爵位と一体のものとして21代アランデル伯の男系男子に継承される爵位であることが確認された[5]。以降、アランデル伯爵位はノーフォーク公爵位とともに継承される従属爵位の一つとなり、ノーフォーク公爵家の法定推定相続人儀礼称号として使用されるようになる。

第14代ノーフォーク公爵・第32代(25代)アランデル伯爵ヘンリー・ハワード(1815年 – 1860年)は勅許を得て、家名にルーツのひとつであるフィッツアランを加えて「フィッツアラン=ハワード」と改姓している[16][17]2016年現在、第18代ノーフォーク公爵エドワード・フィッツアラン=ハワード(1956–)が第36代(29代)アランデル伯爵位を保有している。

歴代当主一覧

アランデル伯 第1期 (1138年頃)

アランデル伯 第2期 (1289年)


  1. ^ 森(1987) p.35-36
  2. ^ a b c 森(1987) p.35
  3. ^ Lundy, Darryl. “William d'Aubigny, 1st Earl of Arundel” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “John FitzAlan” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Arundel, Earl of (E, c.1139)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月8日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Richard Fitzalan, 1st/8th Earl of Arundel” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Richard FitzAlan, 10th Earl of Arundel” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  8. ^ キング 2006, p. 313.
  9. ^ Lundy, Darryl. “Richard FitzAlan, 4th/11th Earl of Arundel” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “Richard FitzAlan, 4th/11th Earl of Arundel” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  11. ^ Lundy, Darryl. “John d'Arundel, 6th/13th Earl of Arundel” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  12. ^ Stephen, Leslie, ed. (1889). "Fitzalan, Thomas" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 19. London: Smith, Elder & Co.
  13. ^ 森(1987) p.35/40
  14. ^ Lundy, Darryl. “Philip Howard, 20th Earl of Arundel” (英語). thepeerage.com. 2014年11月23日閲覧。
  15. ^ 森(1987) p.40
  16. ^ 海保(1999) p.210
  17. ^ 森(1987) p.49


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