アポロ17号 主要な任務

アポロ17号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/26 02:11 UTC 版)

主要な任務

発射から月周回軌道まで

17号の発射。1972年12月7日。

17号は1972年12月7日午前0時33分 (米東部標準時)、ケネディ宇宙センター39A発射台から打ち上げられた。サターン5型ロケットで有人飛行を行うのはこれが最後のことであり、またアポロ計画では唯一、夜間に打ち上げが実行された。発射30秒前に自動停止装置が作動したことにより予定が2時間40分遅れたが、原因は小さなエラーであることがすぐに突き止められた。技術者が対処し、秒読みは打ち上げ22分前の状態から再開したが、ハードウェアの故障で打ち上げが遅れたのはアポロ計画ではこれが唯一の事例であった。発射は成功し、宇宙船は正常に地球周回軌道に乗った[2][25]

深夜であるのにもかかわらず、センター周辺にはおよそ50万人の見物人が訪れたものと見られた。ロケットの炎は800キロメートル彼方からも確認され、マイアミでは北の夜空を赤い光跡が横切るのが目撃された[25]

午前3時46分(東部標準時)、第3段S-IVBのエンジンが再点火され、宇宙船は速度を増し月への軌道へと投入された[2]

12月10日、機械船の主エンジン (Service Propulsion System, SPS) を点火し、宇宙船は月周回軌道に進入した。安定した軌道に乗ると、飛行士らはタウルス・リットロウ渓谷への着陸の準備を開始した[2]

月面着陸

着陸船「チャレンジャー」を司令・機械船から切り離した後、サーナンとシュミットは軌道を修正し、タウルス・リットロウへの降下の準備を始めた。一方その間、司令船操縦士のエヴァンスは軌道上に残り、月面の観察や実験を行い、数日後の仲間の帰還を待った[2][26]

準備完了後、ただちに降下が開始された。数分後、着陸船は姿勢を月面に対して垂直にし、飛行士らは目標地点を目視することが可能になった。サーナンが理想的な着陸地点を探す一方で、シュミットはコンピューターからのデータを読み上げた。12月11日午後2時55分 (東部標準時)、チャレンジャーは月面に着陸した。2人の飛行士はただちに船内を月面滞在モードに設定し、第1回船外活動の準備を開始した[2][26]

月面

月面に立つサーナン。1972年12月13日。

第1回船外活動は、着陸からおよそ4時間後の12月11日午後6時55分に始まった。飛行士らの最初の任務は、月面車やその他の機器を着陸船の格納庫から下ろすことだった。月面車を組み立てているとき、サーナンは誤ってハンマーをひっかけて右後部のフェンダーを破損させてしまった。同じことは16号でもヤング船長がやっており、さして深刻な問題とは言えなかったものの、このおかげでサーナンとシュミットは走行中に月面からはね上げられる砂埃にまみれることになってしまった[27]ダクトテープで折れたフェンダーを貼りつけようとしたがうまくいかず、計画終了までテープは砂埃に耐えることはできなかった[28]。その後飛行士らは、ALSEP (アポロ月面実験装置群) を着陸地点のすぐ西に設置した。作業終了後、両名は最初の地質学的探査に出発し、14キログラムの資料を採取した。また7箇所で重力計の測定をし、2箇所に爆薬をセットした。これは後に地上からの遠隔操作で爆破され、その振動を17号以前の飛行で月面に設置された換振器 (geophone) や地震計が感知した[29]。船外活動は7時間12分で終了した[2][30]

17号の着陸地点。2011年、ルナー・リコネッサンス・オービターが撮影。
17号が採集した月の砂 (レゴリス)。

12月12日午後6時28分 (東部標準時)、サーナンとシュミットは第2回船外活動を開始した。この日の最初の任務は、前日破損させてしまった月面車の右後輪のフェンダーを修理することだった。クロノパック (cronopaque) という4枚の地図をダクトテープで貼り合わせ、走行中に砂が降りかからないよう後輪フェンダーに固定した[27][28][31]。今回は峡谷で、オレンジ色の土壌を含むいくつかの異なる種類の資料が発見された。7時間37分の活動の間に34キログラムのサンプルを採集し、ALSEPで3つの機器を設置し、7箇所で重力計の測定をした[2]

アポロ計画において最後のものとなる第3回船外活動は、12月13日午後5時26分 (東部標準時) に開始された。今回は66キログラムのサンプルが採取され、9箇所で重力計測定が行われた。活動終了前に飛行士は角礫岩を採集し、それをテキサス州ヒューストンの管制センターに当時参加していた複数の国々に捧げた。また着陸船の脚にはめ込まれていた、アポロ計画の業績を称える銘板の覆いが外された。最後に着陸船に帰還する前、船長ジーン・サーナンは自らの思いを次のように表した:[2]

...私は今、月面にいます。そして人類として最後の足跡を残して故郷に帰りますが、必ずまた戻ってきます。それは決して遠くない将来であると信じます。私は、歴史が記録に残すであろうと信じている、とだけ言いたいと思います。それはアメリカの今日の挑戦が、人類の明日の運命を切り開いたことをです。我々はここに来たときと同じように、ここ月面のタウルス・リットロウを去りますが、神の御心のままに、すべての人類のための平和と希望とともに私たちは必ず戻ってきます。17号の搭乗員たちを神が見守ってくださいますように[32]

約7時間15分の船外活動を終え、サーナンは着陸船に帰還し、シュミットも後に続いた[2]

地球への帰還

17号の着水後の回収作業。

12月14日午後5時55分 (東部標準時)、サーナンとシュミットが乗る上昇段は月面から離陸し、軌道上で待機するエヴァンスが乗る司令・機械船とのランデブードッキングに成功した。上昇段は地球に持ち帰る機器やサンプルを移し替えたのち密封され、12月15日午前1時31分に切り離された。その後地上からの遠隔操作で月面に衝突させられ、その衝撃を17号やそれ以前の飛行で月面に設置された地震計が計測した[2][33]

12月17日午後3時27分 (東部標準時)、地球への帰還途中でエヴァンスは1時間7分の船外活動を行い、機械船の科学機器搭載区画から露光フィルムを回収することに成功した[2]

12月19日、役目を終えた機械船が切り離された。17号はもはや司令船のみとなり、大気圏再突入に備えた。午後2時25分、17号は太平洋に着水した。回収船タイコンデロガからは6.4キロメートル の地点であった。サーナン、エヴァンス、シュミットらはヘリコプターにホイスト (釣り上げ) され、着水から52分後に艦上の人となった[2][33]


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