アキバ・ベン・ヨセフとは? わかりやすく解説

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アキバ・ベン・ヨセフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/18 07:55 UTC 版)

アキバ・ベン・ヨセフ

アキバ・ベン・ヨセフヘブライ語: רבי עקיבא、Akiva ben Yosef, Rabbi ‘aqibha’ ben Yoseph, 50年 - 135年頃)は、紀元1世紀末から2世紀にかけて活躍した、ユダヤ教最高の律法学者の一人。ラビ・アキバとも呼ばれる[1]

生涯

アキバ・ベン・ヨセフとは「ヨセフの子アキバ」という意味である。アキバは無学な羊飼いであったと言われる。40代になって自分の息子と一緒にアルファベットアレフベート)を学んだという。ロード (イスラエル)で律法を学び、後にロードとブネ・ブラックでも学塾を開き、多くの学者を輩出した[2][3][1]

アキバは、トーラーの口伝伝承を対象別に整理して解釈することで、ミシュナの基礎を築き、ハラハ(ユダヤ法)の発展に決定的影響を与えた。聖書の『雅歌』の重要性を説いたことでも知られる[1][3]

132年、ローマ帝国のユダヤ教弾圧に対して、ユダヤ人が反乱を起こした。これをバル・コクバの乱、又は、第2次ユダヤ戦争という[4]。反乱の首領はバル・コクバ(星の子)とよばれるメシア的な指導者であった。当時高名な律法学者だったアキバは、『民数記』24章17節の「ヤコブから一つの星(コーカーブ)が出る」という句をバル・コクバと結びつけて解し、また、実際に彼をメシアと認めたと伝えられている[1][5]

135年、アキバはローマ軍に捕らえられ、処刑されている[1]

脚注

  1. ^ a b c d e 長窪 2008, pp. 35–36.
  2. ^ ザハル 2003, p. 251.
  3. ^ a b 関谷 2003, pp. 155–157.
  4. ^ 長窪 2008, p. 392.
  5. ^ 長窪 2008, pp. 391–392.

参考文献

関連項目

外部リンク





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