さんぢゑご丸 参考文献

さんぢゑご丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 08:09 UTC 版)

参考文献

  • 岩重多四郎『戦時輸送船ビジュアルガイド2―日の丸船隊ギャラリー』大日本絵画、2011年。ISBN 978-4-499-23041-4 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 日本郵船株式会社『日本郵船戦時船史』 下、日本郵船、1971年。 
  • 松井邦夫『日本・油槽船列伝』成山堂書店、1995年。ISBN 4-425-31271-6 
  • 美原泰三「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 自昭和十八年十二月一日至昭和十九年三月三十日」『大東亜戦争徴傭船舶行動概見表甲』アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050033400。 

注釈

  1. ^ サマータンクとは油槽の舷側上部(船体横断面でいえば両肩の部分)を区切り取るように設けられた補助タンクで、波の荒い海域を航行する際には空荷状態にしておくことで液面を小さくするとともに重心を下げて船の安定性を高める機能がある。天候の良い夏期(サマー)には普通の油槽としても使用できた[8]
  2. ^ 戦中建造の戦時標準船TL型タンカーは「橋立丸」など若干の残存船があった。また、太平洋戦争前建造タンカーとしては、給油艦兼用の水上機母艦「神威」が大破状態で在籍(復旧せず解体)したほか、タンカー機能を有する捕鯨母船「第三図南丸」は沈没した船体をサルベージして再使用されている。

出典

  1. ^ a b 松井(1995年)、19頁。
  2. ^ a b 日本郵船(1971年)、下860頁。
  3. ^ a b 運輸通信省海運総局(編) 『昭和十八年版 日本汽船名簿(内地・朝鮮・台湾・関東州)』 運輸通信省海運総局、1943年、内地在籍船の部128頁、アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050083200、画像44枚目。
  4. ^ Ogura_Maru_No.1_class
  5. ^ a b c 日本郵船(1971年)、下861頁。
  6. ^ 松井(1995年)、17頁。
  7. ^ a b 岩重(2011年)、130頁。
  8. ^ 岩重(2011年)、82頁。
  9. ^ a b c 松井(1995年)、18頁。
  10. ^ a b 岩重(2011年)、92頁。
  11. ^ a b 松井(1995年)、20頁。
  12. ^ a b 『徴傭船舶行動概見表』、画像17枚目。
  13. ^ a b c d e 松井(1995年)、21頁。
  14. ^ 駒宮(1987年)、129頁。
  15. ^ 『徴傭船舶行動概見表』、画像15-16枚目。
  16. ^ a b 日本郵船(1971年)、下864頁。
  17. ^ 駒宮(1987年)、330頁。
  18. ^ 駒宮(1987年)、252-254、285頁。
  19. ^ a b c 日本郵船(1971年)、下865頁。
  20. ^ a b 松井(1995年)、22頁。


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