あやしいわーるど 概要

あやしいわーるど

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 00:58 UTC 版)

概要

あやしいわーるどは主として複数の電子掲示板から成り立っており、多くは背景色が深緑色、文字色が白色という、黒板を模した見た目を踏襲している[3]。取り扱われる話題は、一般社会では忌避されるアンダーグラウンド的なネタ[注 3]を中心として、さまざまな分野にわたっている。個々の掲示板を開設した者はいるものの、全体を統括する管理者というものは存在しない。初代掲示板の管理人であるしばでさえその全容は把握していなかったといわれ、しばが管理人を辞め掲示板が乱立するようになった後の全てを把握するのは困難である。[要出典]

メインと呼ばれる交流の中心になる場では、単一の掲示板に同時に様々な話題の書き込みが行われ、常駐型の社交場として機能しており、一般人が気軽に足を踏み込めない雰囲気がある[2]。場に常駐する人間=あやしいわーるど掲示板に住んでいる人間、という発想から、常連の参加者はあやしいわーるど住民(住人・ぁ民)と呼ばれる。

1998年9月3日、カリスマ的存在であった[2]初代掲示板の創設者にして管理人であるしばがあやしいわーるどを閉鎖した際に大量の難民が発生し[4]、直後の9月6日にスレッドフロート型掲示板を実装したあめぞうなどに流出して、参加者があやしいの文化を外部へ伝えた[1][5]。 その後、その文化はあめぞうから2ちゃんねるへ受け継がれたため、2chの初期の文化はあやしいわーるどの影響を受けている面が多々ある[注 4]。例えば、ギコ猫の図案はあやしいわーるどで生まれたものであり[6]、「ヒッキー」などもあやしいわーるど発である[7]。それも含めて、ドキュンなど日本のインターネットスラングは、あやしいわーるどが発祥であるものが少なくない[8]

狭義のあやしいわーるど

誕生の経緯

1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こってしばらくすると、それを題材にした『霞ヶ関』という不謹慎ゲームが草の根BBSの一部に出回った。これを朝日新聞(1995年10月26日夕刊)が取り上げたことで大勢の人間を惹き付けることとなったが、パソコン通信大手であったNIFTYなどではゲームを入手できなかったため、それを求める声が続出した。たまたまそのゲームを所有していたしばは、求めに応じて何度かアップロードしていたが、すぐに事務局側に消去され、終いには警告メールまで送りつけられてしまう。そこで事務局が関与できない場で配布しようと起ち上げたのが「あやしいワールド」であった[注 5][注 6]

狭義のあやしいわーるどは、これに始まるしばが管理人を務めた時代の掲示板を言う[9]。原理主義的立場では、この時代にのみアンダーグラウンドに相応しい社交が成立したとされるが、何を以て正統とするか、「真の」あやしいわーるどは終わったかどうかについての意見は分かれ[10][注 7]、「おまえが心の中で思うかぎり、あやしいは存在しつづけるヽ(´ー`)ノ」との言葉が合意を得るのみである[11][13]

広義のあやしいわーるど

広義のあやしいわーるどは、1998年の閉鎖後に乱立した掲示板群、さらにそれ以外にもさまざまなあやしいの名を冠したコミュニティを包含する。主なものとしては、iRC(あやしいわーるど@iRC)やメーリングリストがあげられるが、基本的にあやしいブランドは誰でも自由に使用できるため、さまざまな人が「あやしい」の名のもとにコミュニティを開設・運営している。サイトの運営方針に関する規約も無く「あやしいわーるど」というブランド名の使用が許可されているため、多種多様な解釈により時代に合わせた文化的な発展を続けているとも、コミュニティとしての整合性を失い実質的には解体されてしまったとも言えるが、あやしいわーるどに参加する者の捉え方は様々である。[独自研究?]

あやしいの名を冠する共同体の最大の特徴は、規律がないことである。掲示板に限らず日本のインターネット上の交流の場では、投稿の作法から始まって言葉遣いにいたるまで多種多様な規則・制約をユーザー同士で制定し、それをお互いに遵守すること自体が共同体の目的のひとつとなっているが[注 8]、あやしいわーるどでは基本的にそのような制約は存在せず、煽り、騙りといった通常禁止ないし忌避されることも平然と行われ、各自が好き勝手に動いている。

しかし、あやしい全体を統括する明示的な規則がない一方、それぞれの場においては、管理人、固定ハンドルに代表される古参参加者により、振る舞いに対する暗黙の掟が課せられており[注 9]、これに反した場合、よくて無視、でなければ厳しい批難の対象となった。仮にそれが管理人であった場合、板によっては書き込みもしくは閲覧自体を禁止されることもある[注 10]。このような場特有の文化を踏まえるために、参加者には半年ROMが推奨され、それを終えた後もハンドルネームを記入しない"空白"での参加が一般的である[14]

衰退

かつては掲示板がネットにおける交流の主体だったが、SNSの隆盛もあり、2000年前後の最盛期と比較して利用者数が大幅に減少している。2010年代に入っても新規サイトが開設されてはいるものの、その数は最盛期と比べて極めて少なく、既存サイトも管理者不在による閉鎖が増えており、全体として縮小傾向にあるとは言える。


注釈

  1. ^ 日本のアンダーグラウンドにおける唯一の人格者とも呼ばれ、あやしいわーるど管理の他、文筆家として諸雑誌に寄稿した。 ばるぼら [2005] 398頁
  2. ^ クサチュー語表記
  3. ^ 海賊版ソフトウェアや少年犯罪者の氏名・住所などの犯罪性の高い物、「チンコマンコ」「つーか、まんこ」といった卑語、死体画像やハッキングなど非道徳的なものなど。
  4. ^ 「「あやしい」を織田信長、「あめぞう」を豊臣秀吉、「2ちゃんねる」を徳川家康の政権に例えるものもいる」 鈴木 [2003] p.64
  5. ^ この最初に開設した掲示板のみ"ワールド"表記。 ばるぼら [2005] 198頁
  6. ^ 別説として、1996年4月、あいすたにより「新しい風」が始められ。6月に「あやしいわーるど」と改名するが、其の名に反してアンダーグラウンド的な書き込みは削除されたため不興を買い、しばが引き継いだ、というものがある。ただし、こちらは証言があるのみでログによる確認はされていない。[3]
  7. ^ しばが引退した理由の一つに、当時ゲスッの中心人物だったアリス・リデルとの抗争があり、両者間の協定に基づき1998年12月 7日に「あやしいわーるど」の名前で掲示板を運営しないようにとの要望が出されたため、一時期あやしいわーるどの名前を冠する掲示板は消えていた[11][12]。また、『サイバースペースからの挑戦状』 57-58頁でしばが閉鎖の経緯を語っている。
  8. ^ 例えばネットゲームのコミュニティでも、日本のネットゲームコミュニティでよく見られるような、「対戦ではこういった戦略は使わない」などの規則は存在しない。
  9. ^ 例えば、板にそぐわない分野の投稿、2chなど別のコミュニティで用いられる顔文字やスラングの使用など。
  10. ^ あやしいわーるどIIの管理人であるAGStarはIP制限を多用し、ブラウザクラッシャーと組み合わせて"弾き"と称していた。逆にds時代の本店では負荷攻撃がない限り制限は行わないなど管理人により対応はまったく異なる。[要出典]
  11. ^ この時代は背景色は黒板色でなく、提供先の設定に依存した。[3]
  12. ^ 転送量でペド侯爵の運営する掲示板と双璧をなし、アクセスカウンタは、あやしいわーるどらが六桁、その他大勢は三桁程度に過ぎなかった。最終的に40万アクセスを記録。 ばるぼら [2005] 191頁
  13. ^ "ネットサーフレスキュー[Web裏技]"と名乗っていた。2014年現在CGIレスキューに名前を変えている、
  14. ^ 一般にMinibbs型の掲示板は個人サイト等での簡単な連絡等に向いており、多人数参加型の掲示板には不向きであったが、当時スレッド形式の掲示板スクリプトはほとんど無かったため、Minibbsスクリプトが採用されたと思われる。
  15. ^ 例えば海外製ネットゲームCounter-Strike(CS)やAge of Empires(AoC)などには「CS班」「AoC班」などの掲示板が作られ、それぞれにコミュニティが存在し、各々が適当に活動を行っている。
  16. ^ あやしいわーるどIIのみ「(゚Д゚)」が一番使われている。
  17. ^ 俗に謂う"厨房"の大量発生。
  18. ^ ただし、あやしいわーるど発祥とされる文化の中にも、それ以前のBBS(パソコン通信など)などの文化を継承したもの、それらを基盤として発展したものも少なくない。
  19. ^ ハッククラック板のIP記録や希望者への削除権限パスの配布等を条件に和解した。
  20. ^ サイバーアタックや、国家機構により強制的に停止させられるなど。実際、あめぞうは圧力団体からの脅しが一つの原因となって閉鎖した。

出典

  1. ^ a b 河上 [1998] 43頁
  2. ^ a b c d 鈴木 [2003] pp.60-66
  3. ^ a b c d e 『あやしいわーるどの歴史』(2006/09/28 現在)
  4. ^ RADICA EXPRESS SELECTION あやしいわーるどが永久閉鎖!? 別冊 Mail Magazine Radica 1998年9月5日(土)
  5. ^ 哭きの竜 「真ザ・バトルウオッチャー・ロワイアル R2:電網英雄伝説~黎明篇~」 『B-GEEKS vol.2』 三才ブックス pp.96-97
  6. ^ 「ギコ猫」、タカラが商標登録を出願」、2002年6月3日、ITmedia
  7. ^ 「98年12月にあやしいわーるどに投稿された「ギコニャーニャー」と鳴く猫の文字絵がルーツだが、それが99年後半から2ちゃんねるにも転載はじめ、その際「ギコハニャーン」と鳴くカタカナの「ギコ猫」として広まっていった」 ばるぼら [2005] p.272
  8. ^ ばるぼら [2005] p.272
  9. ^ 「「あやしいわーるど」は96年8月21日にWWW上に登場し、98年9月3日に閉鎖された、しば氏管理による掲示板の名称である」 ばるぼら [2005]
  10. ^ あやしい論(その1),あやしい論(その2)
  11. ^ a b ぁ史 〜あやしいわーるどの歴史〜
  12. ^ 「あやしいわーるど」の歩き方 | ぁゃιぃWalker
  13. ^ 「ぁゃιぃWalker」の、あやしい歴史
  14. ^ ばるぼら [2005] p.197
  15. ^ ばるぼら 「掲示板文化の今後」
  16. ^ くずはすくりぷと - PukiWiki
  17. ^ ばるぼら [2005] pp.232,271-273
  18. ^ 2ちゃんねる元管理人が1億円申告漏れ 譲渡後も広告収入 - MSN産経ニュース
  19. ^ 河上 [1998] 58頁
  20. ^ アリス・リデル 掲示板荒らしの悪行まとめ @ ウィキ(有志によるまとめ) 閲覧日: 2017年2月24日





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