宇田川玄随とは? わかりやすく解説

うだがわ‐げんずい〔うだがは‐〕【宇田川玄随】

読み方:うだがわげんずい

[1756~1798]江戸中期蘭学者江戸の人。津山藩医。名は晋。号、園(かいえん)。オランダ内科書「西説内科撰要」を翻訳蘭学発展尽力した


宇田川玄随

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/14 00:02 UTC 版)

宇田川 玄随
津山洋学資料館の宇田川玄随像
人物情報
生誕 (1756-01-28) 1756年1月28日
日本 江戸
死没 1798年2月3日(1798-02-03)(42歳没)
両親 宇田川道紀(父)
子供 宇田川玄真(養子)
学問
研究分野 蘭学医学
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宇田川 玄随(うだがわ げんずい、宝暦5年12月27日1756年1月28日) - 寛政9年12月18日1798年2月3日))は、日本医学者蘭学者。名は晋、字は明卿、号は槐園(かいえん)または東海(とうかい)。

経歴

鍛冶橋の藩邸で生まれる[1]。宇田川家は漢方医の家系で、父の道紀は江戸詰の津山藩医を務めていた[1]。玄随も元来は漢方医であったが、杉田玄白前野良沢らと交流するうちに蘭方医へと転向[2]し、大槻玄沢芝蘭堂で学ぶ。

桂川甫周の勧めで、オランダのヨハネス・デ・ゴルテルの『簡明内科書』を翻訳し、日本最初の西洋内科書として『西説内科撰要』を刊行[3][4]

宇田川玄真は養子[5]宇田川榕菴は孫(玄真の養子)にあたる[6]。弟子に佐藤信淵など。 墓所は泰安寺岡山県津山市)にある。

1910年(明治43年)11月、生前の功績が讃えられ、贈位として明治政府より贈正四位が追陞された[7]

著作

  • 『西説内科撰要』 - ヨハネス・デ・ゴルテル著の『簡明内科書』の訳書で日本初の内科書。桂川甫周より与えられた。
  • 『内科書付録《製錬術》』 - ステフェン・ブランカールト著の訳書で日本初の製薬化学書。
  • 『遠西草木略』
  • 『東西病考』
  • ハルマ和解』 - 編纂に参加・協力。
  • 『蘭訳弁髦』(全5冊、1793年成立)。

脚注

  1. 1 2 宇田川玄随と『西説内科撰要』”. 津山洋学資料館. 2026年4月13日閲覧。
  2. 津山の洋学”. 津山洋学資料館. 2026年4月13日閲覧。
  3. 洋学の巨人ら生んだ原点 宇田川玄随「西説内科撰要」の魅力:朝日新聞”. 朝日新聞 (2021年12月14日). 2026年4月13日閲覧。
  4. 宇田川玄随”. 津山洋学資料館. 2026年4月13日閲覧。
  5. 玄随と玄真の出会い”. 津山洋学資料館. 2026年4月13日閲覧。
  6. 宇田川榕菴の生い立ち”. 津山洋学資料館. 2026年4月14日閲覧。
  7. 『官報』1910年11月17日「叙任及辞令」。

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