大日本青年党とは? わかりやすく解説

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大日本青年党

(great japan youth party から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/14 01:49 UTC 版)

大日本青年党 (だいにほんせいねんとう[1]、だいにっぽん[2]せいねんとう)とは、1936年(昭和11年)10月17日、橋本欣五郎を統領として結成された政治団体[3]機関紙は『太陽大日本』。大日本産業労働団、赤誠会、大日本学生団を組織し、上海に支部を置いた[4]。1940年(昭和15年)11月3日[2]、思想団体大日本赤誠会 (だいにほんせきせいかい) に改組された[3]国家社会主義[5]、「革新右翼の国家主義団体」[2][6]、「ナチ路線の組織」[7]などとされる。ハレット・アーベント中国語版[注釈 1]は「ドイツのヒトラーユーゲントに似た組織」と記した[10]田々宮英太郎は「青年トルコ党と大日本青年党の名称には因縁を感じさせる。」という[11]山内昌之によれば「橋本が初代大統領ケマル・アタチュルクに心酔したことはよく知られているが、政治と軍事を結合した政権掌握に才を発揮した統一進歩団やその首領たちの足跡に無関心だったとは考えられない。」という[12][注釈 2]


注釈

  1. ^ ハレット・アーベント (1884年9月15日~1955年11月27日)は、1927年から1941年までニューヨークタイムズの中国における特派員[8][9]
  2. ^ 山内は、松本健一との対談で、「桜会は、まさに青年トルコ党がモデルでした。」と述べた[13]

出典

  1. ^ 木下半治「大日本青年党」日本近代史辞典編集委員会編『日本近現代史辞典』東洋経済新報社ISBN 4-492-01008-4、385頁。
  2. ^ a b c 赤沢史朗「大日本青年党」国史辞典編集委員会編『国史大辞典 第八巻』吉川弘文館、昭和六十二年十月卅日 第一版第一刷発行、ISBN 4-642-00508-0、838頁。
  3. ^ a b 保阪正康「第34章 橋本欣五郎の『第二の開闢』」『ナショナリズムの昭和』幻戯書房、二〇一六年十一月二十五日 第一刷発行、ISBN 978-4-86488-100-5、418頁。初出は、保阪正康「ナショナリズムの昭和 第三十一回 新統制派は橋本欣五郎の思想から何を学んだか」『諸君!文藝春秋、第40巻第3号、平成20年3月1日発行、雑誌 04551-3、234頁。
  4. ^ 堀幸雄「大日本青年党」『最新 右翼辞典』柏書房、2006年11月25日 第一刷発行、ISBN 4-7601-3023-3、387~388頁。
  5. ^ 日本史広辞典編纂委員会編『日本史広辞典』山川出版社、1997年10月22日 第一版第一刷発行、ISBN 4-634-62010-3、1303頁。
  6. ^ 赤木須留喜『近衛新体制と大政翼賛会』岩波書店、1984年1月13日 第一刷発行、158頁。
  7. ^ Sims, p. 218.
  8. ^ Current Biography Yearbook英語版, H. W. Wilson Company英語版, 1957, p. 1.
  9. ^ 中国社会科学院近代史研究所翻译室, 《近代来华外国人名辞典》, 中国社会科学出版社, 1981年, 2-3頁。
  10. ^ Abend, p. 274.
  11. ^ 田々宮英太郎『橋本欣五郎一代』芙蓉書房、昭和57年1月20日 第1刷 発行、0021-010230-7344、218頁。
  12. ^ 山内昌之「納得しなかった男 エンヴェル・パシャ 中東から中央アジアへ 新連載 第一回」『世界』第603号、1995年1月号、岩波書店、1995年1月1日発行、雑誌 05501-1 ISSN 0582-4532、136~137頁。
  13. ^ 山内昌之・松本健一「中央アジア再発見 新しい文明の風が吹いてくる」『This is 読売』第8巻第12号通巻第97号 1982年2月 新春特大号、読売新聞社、平成10年2月1日発行、雑誌05237-2、193頁。
  14. ^ a b 木下半治『日本国家主義運動史 II』福村出版、1971年9月1日 初版発行、491頁。
  15. ^ 木下 (1971)、492~493頁。
  16. ^ 保阪 (2016)、416頁。保阪 (2008)、232頁。
  17. ^ a b 田々宮 (1982)、219頁。
  18. ^ 戸川貞雄『橋本欣五郎』拓南社、昭和十六年十二月十五日 發行、一〇六頁。
  19. ^ a b 田々宮 (1982)、220頁。
  20. ^ 堀 (2006)、387頁。
  21. ^ 田々宮 (1982)、218頁。
  22. ^ 木下 (1971)、494頁。
  23. ^ 田々宮 (1982)、217頁。
  24. ^ 田々宮 (1982)、221頁。
  25. ^ 橋本欣五郎』 - コトバンク
  26. ^ 思想団体に改変を宣言(『朝日新聞』昭和15年10月21日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p428 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  27. ^ Ando, p. 170.
  28. ^ 林逸郎『闘魂-東京裁判と橋本欣五郎-』考現社、昭和31年2月28日 初版発行、171頁。


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