YF-22とは? わかりやすく解説

YF-22 (航空機)

(YF-22 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/26 22:50 UTC 版)

YF-22

国立アメリカ空軍博物館に展示されているYF-22初号機

YF-22は、アメリカ合衆国航空機メーカーであるロッキード社、ボーイング社、ジェネラル・ダイナミクス社の3社によってアメリカ空軍向けに設計された、単座双発ステルス戦闘機試作機技術実証機である。公式な愛称はないが、非公式に「ライトニングII」と呼ばれていたことがあった。

ロッキード社が主契約者となった設計チームは、アメリカ空軍の先進戦術戦闘機(ATF)開発競争の最終候補となり、実証および検証のために2機の試作機を製造した。YF-22設計チームは、ノースロップ社主導のYF-23設計チームとの競争に勝利して全規模開発に進み、その設計はステルス戦闘機ロッキード・マーティン F-22に発展した[注 1]。YF-22は、F-22と同様の空力レイアウトと構成を備えているが、コックピット尾翼主翼の位置と設計、内部構造レイアウトなど、全体的な形状に顕著な相違点がある。

アメリカ空軍は1980年代ソ連の先進的な戦闘機、Su-27MiG-29といった新たな脅威に対抗するため、制空戦闘機の後継機を模索し始めた。多くの企業が提案を提出したが、開発競争はロッキード社とノースロップ社の2社に絞られ、実証・検証段階の最終候補となった。ノースロップ社はマクドネル・ダグラス社と組んでYF-23を開発し、ロッキード社はボーイング社およびジェネラル・ダイナミクス社と組んでYF-22を開発した。YF-22は、YF-23よりわずかに速度が遅く、レーダー断面積も大きかったが、機動性はYF-23よりも優れていた。1991年4月、アメリカ空軍はロッキード社の設計チームをATFコンペティションの勝者として選出した。アメリカ海軍もATFの海軍版の採用を検討したが、コストの問題から、後にこの導入計画は中止された。

選定後、試作初号機はアメリカ空軍飛行試験博物館英語版の展示物として退役したが、2号機は飛行試験を継続した後、事故によりアンテナ試験機として転用され、その後保管された。

開発

コンセプト定義

1981年、アメリカ空軍は、F-15 イーグルF-16 ファイティングファルコンの後継機となる新型制空戦闘機である先進戦術戦闘機(ATF)の構想と要求仕様の検討を開始した。この後継機は、ソ連のMiG-29 フルクラムSu-27 フランカー戦闘機をはじめとして、A-50 メインステイ早期警戒管制機(AWACS)や、高度化した地対空ミサイルシステムの開発と拡散など、世界的に出現する脅威によって、重要度の高いものとなった。ATFは、複合材料、軽量合金、高度なアビオニクスと飛行制御システム、強力な推進システム、ステルス技術など、将来有望な戦闘機設計の新技術を活用する予定であった[1]

ATF RFIに提出された複数の設計案の図。ロッキード社による大型のCL-2016の設計は、SR-71ファミリーから着想を得ていることに注目。

アメリカ空軍は1981年5月に航空宇宙産業界に対し、将来の先進的な戦闘機がどのようなものになるかを探るためのATF情報提供依頼書(RFI、Request For Information)を送付し、その後、結果を分析するためのコンセプト開発チーム(CDT、Concept Development Team)を設置した[2]。最終的に「シニアスカイ」というコードネームが付けられたATFは、当時まだ空対空および空対地任務の両方を考慮した要求定義の途上であり、その結果、業界からの回答には相当なばらつきがあった。ロッキード社の最初のコンセプト案は、特に大型の航空機であったCL-2016であり、その大きさから「バトルクルーザー」というニックネームを付けられた。それは、SR-71あるいはYF-12に似ており、大型のデルタ翼と胴体から離れたナセルに搭載されたエンジンを備え、ロッキード社によれば「ミサイラー」と呼ばれたミサイル・プラットフォームとしてSR-71やYF-12と同様に高度な運用速度と上昇限度を持つ予定であった[3][4]

1983年、ATFコンセプト開発チームはライト・パターソン空軍基地に拠点を置くシステム・プログラム・オフィス(SPO、System Program Office)となった。航空宇宙企業や戦術航空軍団(TAC)との協議を経て、CDTおよびSPOはF-15の後継機として優れた運動性能、すなわち優れた速度と機動性を備えた制空戦闘機に要求を絞り込んだ[5]。さらに、SPOは、ハブ・ブルー/F-117「シニアトレンド」やB-2爆撃機または「シニアアイス」となる先進技術爆撃機(ATB、Advanced Technology Bomber)プログラムなどの「ブラック・ワールド」プロジェクトにおけるアメリカ空軍の経験から、戦闘機のような速度と機動性を維持しながらも、生存性を高めるためのステルス性をますます重視し始めた[6]。ステルス性が中核的な要件となったため、カリフォルニア州バーバンクにあるスカンクワークス部門のバート・オズボーンが率いるロッキード社の設計チームは、当初のSR-71のような「バトルクルーザー」コンセプトから離れ、代わりに同社のF-117ステルス攻撃機に似た設計案の作成に着手した。しかし、ロッキード社がF-117の設計に使用したものと同様の「エコー」コンピュータ・プログラムを使用した結果得られた多面体形状は、戦闘機には不向きな非常に劣悪な空力性能を設計にもたらすことになった。ロッキード社はコンセプト検討段階において全体を通して低迷し、競合する契約業者の中でも最下位に位置づけられてしまった[3]

実証および検証

1984年11月までに、SPOは要求事項をさらに絞り込み、運用要求事項(SON、Statement of Operational Need)を発表した。要求事項では、離陸重量22,700 kg(50,000 lb)の戦闘機が求められ、ステルス性、機動性、アフターバーナーなしの超音速巡航(スーパークルーズ)に重点が置かれ、ミッション半径は亜音速/超音速混合で930 km(500 nm、580 mi)、亜音速で1,300 - 1,480 km(700 - 800 nm、806 - 921 mi)になると予想された[7]1985年9月、アメリカ空軍は、実証および検証(Dem/Val)のために、多数の航空機製造チームに技術提案依頼書(RFP)を送付した。ATFの厳しい技術要件に加え、Dem/Valではシステム・エンジニアリング、技術開発計画、リスク軽減にも重点が置かれた。上位4つの提案は、プログラム費用を削減するために後に2案に絞り込まれ、それらを最終候補としてDem/Valが進められることになった。当初は試作機の要件はなかった。当時、アメリカ空軍は750機のATFを、1985会計年度(FY)のドル換算で3,500万ドル(2024年換算で約8,640万ドル)の単価で調達することを想定していた[3][7][8]。さらに、コスト削減のためにアメリカ空軍と協力するよう議会から圧力をかけられたアメリカ海軍は、当初はオブザーバーとしてATFプログラムに参加したうえで、最終的には1988年に、F-14 トムキャットの後継機となるべき海軍先進戦術戦闘機(NATF)として、ATFとして選定された設計の派生型を採用することを発表した。アメリカ海軍は546機の調達を要求した[9]

試験飛行中のYF-22。

ロッキード社はファセット・デザインにおけるATFコンセプトの探索中において成績が悪く、またノースロップ社の曲面デザインにATBを奪われたため、1984年にファセットを放棄し、曲面形状を取り入れ始めた。当初、同社の解析ツールではそのような形状を計算できなかったが、カリフォルニア州ヘレンデールの試験場におけるレーダーレンジ試験での実証結果が良好であったため、ロッキード社は滑らかで曲面形状のステルス機を設計することに自信を持ち、その結果、空力特性が大幅に向上することになった。ロッキード社が徐々に曲面形状を解析できるようになると[注 2]、Dem/Valに提出された最終設計である構成番号090Pは、矢じりのような前部胴体形状、後退角のついた台形翼、4枚の尾翼、レーダーに映りやすいエンジン正面を隠すS字型の吸気ダクト、内蔵回転式ミサイル発射機を備えていた[3]。機体の設計変更に加え、ロッキード社はATFの取り組みに多くの技術人材と人員を投入し、シャーマン・マリンをプログラム・マネージャーに任命、退役空軍大将アルトン・D・スレイ率いるグループのレッドチームによる提案書の検証を積極的に受けた[10]。その結果、提案書は大幅に改善され、特にシステム・エンジニアリングのボリュームが大きくなった[11]

ATF RFPは、最初のリリース後にいくつかの変更が加えられた。SPOは、ハブ・ブルー/F-117とATB/B-2に関するロッキード社およびノースロップ社との協議の末、1985年12月に全方位ステルス性の要件を大幅に引き上げることにした。飛行技術実証機の試作機の要件は、1986年5月に追加された。これは、国防総省の調達慣行を調査するためにロナルド・レーガン大統領によって設置された連邦委員会であるパッカード委員会の勧告によるものであった[12][13]1986年7月に7社が入札に応じた[注 3]。各企業が独自に行うことになるであろう莫大な投資が予想されたため、SPOは複数の企業でチームを組むことを奨励した。提案書の提出後、ロッキード社、ボーイング社、ジェネラル・ダイナミクス社の3社は、提案した設計案が採用された場合、その設計案を開発するためのチームを結成した。ノースロップ社とマクドネル・ダグラス社の2社も同様の合意をもってチームを結成した[15]

1986年10月31日、ステルス機業界の二大巨頭であるロッキード社とノースロップ社がそれぞれ1位と2位に選ばれた。シャーマン・マリンは、ロッキード社がトップに立てたのは、他の契約業者が重視していなかったシステム・エンジニアリングの提案のボリュームが大きかったことが要因だと述べた。ロッキード社、ボーイング社、ジェネラル・ダイナミクス社の3社とノースロップ社、マクドネル・ダグラス社の2社の2チームは、1985会計年度のドル換算で6億9,100万ドル(2024年換算で約17億1,000万ドル)の契約を獲得し、50か月の実証および検証フェーズを経て、両チームは試作機の飛行試験に臨むことになった。SPOはロッキード社の機体をYF-22、ノースロップ社の機体をYF-23とそれぞれ命名した。プラット・アンド・ホイットニーゼネラル・エレクトリックは、それぞれYF119YF120という名称で競合する試作推進システムの開発契約を先行して獲得していた[16][17][18]。飛行できる試作機の要件は政治的圧力により後から追加されたものであったため、その試作機は競争飛行試験を実施したり、量産機を代表したりすることを目的としたものではなく、コンセプトの実現可能性を実証し、リスクを軽減するための「ベスト・エフォート」の機体となることになっていた[注 4][8]

設計の進展

YF-23と編隊飛行するYF-22。
YF-22とYF-23の大きさ比較。YF-23のほうが若干大きい。

開発作業は3社のチーム全体でほぼ均等に分担される予定であった[注 5]。ロッキード社の提案が勝者の1つに選ばれたため、同社はプログラム・パートナーのリーダーシップを引き継ぐことになった。同社はバーバンクで前部胴体、コックピット、ステルス・エッジ処理を担当し、カリフォルニア州パームデールで最終組み立てを行う予定であった。一方、主翼と後部胴体はワシントン州シアトルのボーイング社が製造し、中央胴体、兵装庫、尾部、降着装置テキサス州フォートワースのジェネラル・ダイナミクス社が製造する予定となっていた[21]。3社のチームはまた、政府契約の授与に加えて、Dem/Val期間中にATFの取り組みに合計6億7,500万ドル(2024年換算で約15億4,000万ドル)を投資する予定であった[22]。パートナー企業は設計経験と提案を持ち寄った。ボーイング社の設計は、機首下部に吸気口、台形翼、V字尾翼(高速運用により十分な動圧が発生するため、追加の操縦翼面は不要と判断された)、そして迅速な搭載のために弾薬をパレットに載せた内部兵装庫を備えた、大型で全長が長い機体であった。ジェネラル・ダイナミクス社の設計は、機動性とスーパークルーズに最適化された胴体とデルタ翼、肩部吸気口、唯一の尾翼面として大型で単一の垂直尾翼、胴体中央部に兵装庫を備えた小型機であった。単一の垂直尾翼は、全方位ステルス性を損なう空力的な妥協点であった。しかし、チームの精査の多くは、ロッキード社の構成番号090Pに集中した。これは、ロッキード社が詳細な設計よりも仕様開発やトレードオフ分析などのシステム・エンジニアリングに重点を置くものであったため問題が多く、非常に未熟なものであったためであった。それでも、構成番号090Pは3社のチームが改良に取り組んだ最初の出発点となった[23]

実証および検証期間中、SPOは契約者であるチームとシステム要件レビュー(SRR、System Requirement Reviews)を実施し、性能とコストのトレードオフ研究の結果を利用することでATFシステムの仕様を策定し、重量とコストの大きな要因でありながら価値が低いと思われる要件を調整または削除した[24]。例えば、ミサイル(ベースラインのAIM-120Aで表される)[注 6]を8基内蔵する要件は6基に緩和された。3社のチームは設計を継続的に改良し、実証および検証終了までに18,000時間の風洞試験、レーダー・レンジでの模型のポール・テストによるRCSの測定、数値流体力学(CFD)およびコンピュータ支援設計(CAD)ソフトウェアなどの分析的および実証的手法を幅広く活用した。1987年初頭までに、設計は構成番号095に進展し、回転式ミサイル発射機を平坦な兵装庫に置き換えて容積と抗力を削減し、前部胴体と前縁付け根延長部の形状を再輪郭化して平面面積を減らし、制御不能なピッチアップ・モーメントを防止することにした。この頃、設計案は2つのファミリーに枝分かれした。500のプレフィクスを持つ構成は、全規模開発に引き継がれる完全なシステム設計、つまり推奨システム・コンセプト(PSC、Preferred System Concept)を表し、1000のプレフィクスを持つ構成は、同じ外部エアフレーム形状を表すが、飛行試験用の計器を備えた試作機として製造されるように設計されている。したがって、構成番号095はそれぞれ595と1095となった[23]

エドワーズ空軍基地の誘導路にある2機のYF-22戦闘機

構成番号595/1095の詳細な重量分析により、マニューバ・パラメータを名目上満たすことはできたとしても、4,100 kg(9,000 lb)の重量超過であることが1987年半ばまでに明らかになった[23]。重量が増加する可能性が高く、妥協も見込めないため、3社のチームは1987年7月に完全に新しい設計でやり直すことを選択し、ロッキード社は新しい設計エンジニアリング・ディレクターとしてリチャード・カントレルを派遣した[注 7][27]。さまざまなレイアウトが検討され、3か月の集中的な作業の末、3社のチームは1987年後半に、肩に取り付けられた吸気口と、ジェネラル・ダイナミクス社の設計に似たダイヤモンドのようなデルタ翼、および4枚の尾翼を備えた新しい設計、構成番号614/1114を起点として選択することにした。特に、ダイヤモンドのようなデルタ翼の空力特性は、元の台形後退翼型に近づき、翼根弦が長いため構造重量が大幅に軽減された。設計は1987年の残りの期間と1988年5月までの期間を費やし、構成番号632/1132がYF-22として確定した。変更点には、尾翼表面の形状をダイヤモンド状にし、別のSRR後の逆推力装置の要件削除に伴い、ウェーブ・ドラッグを減らすために前部と後部の胴体を再輪郭化することが含まれる[28][29]。ただし、試作機の推力偏向ノズルには逆推力装置の一部が残っていたため、試作機の後部胴体が必要以上に大きくなってしまった。最終的に、目標であった22,700 kg(50,000 lb)の離陸重量は、ロッキード社とノースロップ社の両チームにとって依然として達成不可能であることが判明し、重量要件は27,200 kg(60,000 lb)までに緩和され、必要なエンジン推力は133 kN(30,000 lbf)から156 kN(35,000 lbf)クラスに増加することになった[30]。YF-22の構成は、試作機の製造を開始するための再設計後比較的すぐに未成熟な状態で固定されたが、3社のチームは構成とPSC設計をF-22に進展させ続け、本格的な開発を進めていった[23]

先進的な機体および推進装置の設計に加えて、ATFは、パイロットの状況認識を高め、作業負荷を軽減するためのセンサー融合用の統合アビオニクス・システムを必要とした。これは、センサーおよびアビオニクス機能の飛躍的な向上を必要とした。アビオニクスの開発は、広範なテストとプロトタイプ作成によって特徴付けられ、地上研究施設および飛行する研究施設によって支援され、ボーイング社がアビオニクスの統合を担当することになった。YF-22は機体とエンジンの技術実証機であったため、ミッション・システム・アビオニクスは搭載されなかった。ボーイング社は、アビオニクス・グラウンド・プロトタイプ(AGP、Avionics Ground Prototype)を製作し、ミッション・システムによって改造を施したボーイング757をアビオニクス開発用の飛行研究施設として提供した。この航空機は後にフライング・テストベッドと名付けられた[31][32]。SPOも同様に、契約業者とのSRRの結果としてアビオニクスの要件を調整した。サイド・スキャン・レーダーと赤外線捜索追尾システム(IRST)は基本要件から除外され、将来追加される可能性のある規定となり、1989年にSPOは全規模開発の基本提案に、航空機のアビオニクス1機あたり900万ドル(1985会計年度ドル換算で約2,220万ドル)の上限を設けた[23]

ロールアウト記念式典で披露されるYF-22。

正式にYF-22Aと命名された試作初号機は、1990年8月29日にパームデールでロールアウトした[21][33]。この機体は、第二次世界大戦期のロッキード社製戦闘機P-38 ライトニングにちなんで非公式に「ライトニングII」という名称が付けられ、この名称は1990年代半ばにアメリカ空軍が量産型F-22を正式に「ラプター」と命名するまで使われ続けた[34]。ロッキード・マーティン F-35[注 1]は、後の2006年にアメリカ空軍から正式に「ライトニングII」という名称を与えられた[35]

アメリカ海軍仕様

アメリカ海軍のF-14 トムキャットの後継機となるNATFは、マッハ2クラスの速度を維持しながらも、航空母艦への着艦速度をATFよりも遅くすることが求められたため、ロッキード社のチームのNATF設計グループは、空母運用に適した特性を実現する設計にたどり着くために、いくつかの構成を検討した。ボーイング社は固定翼設計を主張し、ジェネラル・ダイナミクス社は可変翼を支持した。内部競争と広範な風洞試験の結果、3社のチームは1989年8月に可変翼を採用することとした。この設計では、推力偏向ノズルと4枚の尾翼は維持されていた[36]。結果として、この機体は空軍のATFよりも重く、複雑で、高価になることになってしまった[37]。ロッキード社のチームは1990年12月にF-22の全規模開発提案とともにNATFの設計案を提出したが、海軍はその後まもなくコストを理由にこのプログラムから撤退してしまった[36]

設計

YF-22の設計(構成番号1132)は、ダイヤモンド型のデルタ翼面形状と4枚の尾翼を備えている。

YF-22は、ATFの機体と推進装置の設計の実現可能性を実証することを目的とした試作機であり、最終的にはアメリカ空軍の生存性、スーパークルーズ、ステルス性、整備性に関する要求を満たすことを目的としていた[38]。機体には、前縁が48度後退した大きなダイヤモンドのようなデルタ翼、肩に取り付けられた吸気口、3つの内部兵装庫、および4枚の尾翼面(傾斜した垂直尾翼方向舵、および全可動水平尾翼またはスタビレーター)がある。すべての主要なエッジは、レーダー波の大部分が発信源から特定の角度セクターに向かって偏向されるようにすることでステルス性を確保するために共通の角度に整列されている。三輪式降着装置、機体中央に空中給油用受油口、垂直尾翼の間にエアブレーキが備えられていた[39]。コックピットは完全フレームレスのバブルキャノピーになっていた。ノースロップ社、マクドネル・ダグラス社のYF-23と比較すると、YF-22は保守的で堅実な、より従来型に近い設計であり、主翼には全幅前縁などの大型の操縦翼面を備えていた[40]。YF-23は尾翼が2枚であったのに対し、YF-22は4枚であったため、YF-23よりも機動性に優れていた[41]

YF-22のコックピット右側。操縦桿としてサイドスティックがあるのがわかる。
YF-22のコックピット左側。スロットルレバーがあるのがわかる。
YF-22のコックピットの正面パネル。グラスコックピット化されており、アナログの航空計器はなく、プライマリMFDおよびセカンダリMFDが設置されている。量産型F-22のものと比べるとデザインは洗練されていない。

YF-22は2基のエンジンで推進され、初号機にはゼネラル・エレクトリック YF120が搭載され、2号機にはプラット・アンド・ホイットニー YF119が搭載された[1][42]。固定形状のキャレット型エンジン・インレットは、境界層を分離してバイパスし、上部内側コーナーで斜めの衝撃波を発生させて効率的な超音速圧縮を行うために、機首胴体から離れた位置に配置された。蛇行状のインレット・ダクトは、外部からの視線からエンジン正面を完全に遮蔽することができた。2次元推力偏向ノズルは、排気プルームを平坦化して周囲の空気との混合を促進することで、熱紋を低減する[43][44]チャインは機首から機首胴体の側面に沿って伸び、最終的にインレットの上端に合流する。その後、後方で主翼の鋭い前縁付け根延長部へと移行する。これにより、高迎角特性を向上させる渦が発生する。超音速巡航時の抗力を低減するため、機体形状には面積法則が適用され、胴体容積の大部分は翼の後縁より前方に位置するが、後期の構成再設計により、試作機の形状は未熟であり、空力的に洗練されていなかったことがわかった[28]

この航空機は静的安定性が緩和されており、フライ・バイ・ワイヤによって制御され、機体管理システム(VMS、Vehicle Management System)に統合されている。コックピットには、F-16と同様のスロットルとサイドスティックが配置されている。また、ヘッドアップディスプレイ(HUD)、2面の15 cm×15 cm(6 in×6 in)のプライマリ多機能ディスプレイ(MFD)および3面の10 cm×15 cm(4 in×6 in)のセカンダリMFDが備えられており、運用中の戦闘機のレイアウトを模擬していた。特定の飛行試験イベントにおける必要に応じて、一部のMFDを計器盤に交換することができた。試作機の航空電子機器には、内部兵装庫からのミサイル発射とVMSへの統合を試験するためのソフトウェア制御の兵装管理システム(SMS、Stores Management System)が組み込まれており、兵装庫には振動と音響を測定するための計器も設置されていた[45][46]

NATF-22

ロッキード社のチームによる海軍先進戦術戦闘機(NATF)の設計案は、「NATF-22」または「F-22N」と呼ばれることもあり(この設計案は正式には命名されなかった)、アメリカ空軍版とは多くの点で異なっていた。NATFは、マッハ2クラスの速度を維持しながらも、空母運用のためにF-22よりも遅い着陸速度が必要であったため、可変後退翼が組み込まれる予定であった。さらに、アメリカ海軍はスーパークルーズよりも艦隊防空のための滞空時間を重視していたが、可変後退翼は航続距離をも向上させた[36][37]。胴体の形状はアメリカ空軍版と似通っていたが、降着装置とアレスティング・フックは空母着艦のために強化される予定となっていた。これらの変更により、より重く、より複雑で、より高価な航空機となるはずであった。4枚の尾翼、推力偏向ノズルはそのまま残され、アビオニクスは当初F-22とほぼ共通となる予定であったが、対水上攻撃などの海上任務用に追加のセンサーやミッション・アビオニクスの搭載も計画されていた。設計上は同様の兵装庫配置となる予定であったが、AIM-152 AAAMAGM-88 HARMAGM-84 ハープーンなどの兵装搭載能力も拡張して付加される予定であった[47][48]

ロッキード社のチームは1990年12月にF-22の全規模開発提案とともにNATF-22の設計案を提出したが、アメリカ海軍は1990年後半から1991年初頭にかけてNATFプログラムからの撤退を開始し始め、コストの高騰により1992会計年度までにNATFを完全に放棄したため、この設計案はDem/Valを通過して全規模開発、またはエンジニアリングおよび製造開発(EMD、Engineering and Manufacturing Development)に進むことはなかった。ロッキード社とボーイング社は、可変後退翼や胴体の形状など、この設計案のいくつかの要素を海軍の先進攻撃機(A-X)プログラムに提案したいくつかのコンセプトに活用し、後に戦闘機機能を追加した先進戦闘攻撃機(A/F-X)プログラムとなり、中止されたA-12 アベンジャーIIの後継となった。しかし、結局A/F-Xも冷戦後の予算圧力による1993年のボトムアップ・レビューの結果、中止されることになってしまった[49][50]

運用歴

評価

YF-22(手前)とYF-23(奥)

GE YF120エンジンを搭載したYF-22Aの初号機(PAV-1、機体番号87-0700、N22YF)は[51][52]1990年9月29日にテスト・パイロットのデビッド・L・ファーグソンの操縦でパームデールから初飛行した[21][53]。18分間の飛行中、PAV-1は最高速度250 kt(460 km/h、290 mph)、高度3,800 m(12,500 ft)に達し、エドワーズ空軍基地に無事に着陸した[52]。飛行後、ファーグソンは、YF-22のテスト・プログラムの残りは「超音速と亜音速の両方での機体の操縦性に集中する」と述べた[52]。YF-22Aの2号機(PAV-2、機体番号87-0701、N22YX)は、P&W YF119エンジンを搭載し、10月30日にチーフ・テスト・パイロットのトーマス・A・モーゲンフェルトの操縦で初飛行を実施した[21]

飛行試験プログラムでは、YF-23とは異なり、YF-22では兵装の試射と60度の高迎角(高アルファ)の飛行が実施された[54]。プログラムの要件ではなかったが、機体は内部兵装庫からAIM-9 サイドワインダーAIM-120 AMRAAMを試射した[54][55]。また、飛行試験では、推力偏向ノズルを備えたYF-22が低速機動時にF-16の2倍以上のピッチレートを達成し、60度を超えるトリム・アルファで飛行する優れた高迎角特性も備えていることを実証した。ゼネラル・エレクトリック製エンジンを搭載した試作初号機PAV-1は、1990年11月3日にスーパークルーズで最大速度マッハ1.58を達成し、プラット・アンド・ホイットニー製エンジンを搭載した2号機PAV-2は、1990年12月27日にスーパークルーズで最大速度マッハ1.43を達成した。アフターバーナーを用いた最高速度はマッハ2.0を超えていた[56][57]。飛行試験は1990年12月28日まで続けられ、その時点で累計74回の飛行を完了し、91.6時間の飛行時間を蓄積することができた[18][58]。飛行試験の後、契約チームはATFの全規模開発の提案を提出し、ロッキード社のチームによるPSC F-22の設計は大幅に改良され、コンペティションに提出するために構成番号は638に進展した[59]

1991年4月23日空軍長官ドナルド・ライスにより、ロッキード社のチームがATFコンペティションの勝者として発表された。ロッキード社のチームは技術面で高く評価され、リスクが低いとみなされ(YF-22は競合機よりも飛行時間と出撃回数が大幅に多かった)、プログラム管理がより効果的であると考えられていた[60][61]。両設計ともすべての性能要件を満たすか、それを上回っていた。YF-23はステルス性が高く、速度が速かったが、YF-22は機動性に優れ、機敏であった[62]。航空専門誌では、ロッキード社の設計は海軍のNATFにもより適応性が高いと見なされていたと推測されたが、アメリカ海軍は1992会計年度までにNATFを放棄していた[54][63]。初号機PAV-1の場合は退役したが、その代わりに2号機PAV-2はコンペティション後も出撃し、累計39回の飛行でさらに61.6飛行時間を蓄積していた[54]1992年4月25日、2号機はパイロットの操縦ミスによる振動が原因で、着陸復行中に機体に深刻な損傷を受けた。修理は受けたものの、その後飛行することはなく、代わりに静的試験機として使用されることになった[64][65]1991年には、650機のF-22が生産される予定であった[66]

F-22の生産

F/A-22ラプターの試験飛行および訓練飛行は、2003年に発生した前脚格納事故による一時的な中断を経て、3月22日にここで再開された。

ロッキード社がATFコンペティションで勝利したため、1991年8月に全規模開発、つまりエンジニアリングおよび製造開発(EMD)契約を獲得することに成功した。当初の契約金額は約110億ドル(2024年換算で約225億ドル)であり、最終的に運用可能な機体の生産に進むことができるようになった。EMD/量産設計はさらに改良され、構成番号は645へと進展した[23][67]。EMDでは当初、単座のF-22Aが7機、複座のF-22Bが2機請求されていたが、開発コストを節約するために後者は最終的にキャンセルされることになり、注文内容は単座のみに変更された。1997年4月9日、これらの最初の機体である「スピリット・オブ・アメリカ」がロールアウトした。この式典で、F-22は正式に「ラプター」と命名された。資金が限られていたため、当初1996年半ばに予定されていた初飛行は1997年9月7日に実施された[64]。F-22の飛行試験は2005年まで続き、2005年12月15日にアメリカ空軍はラプターが初期作戦能力(IOC)に達したと発表した。ソ連崩壊と当時の国防総省が対反乱作戦に注力していたため、F-22の生産は195機(うち運用モデルは187機)にとどまり、2011年には生産終了となってしまった[68][69]

YF-22は、設計が比較的未熟であった構成番号632/1132から最終的な構成番号645へと進むにつれて、EMD/量産型F-22とは多くの点で異なっていた。当初は垂直尾翼が小さかったために操縦が難しかったF-117 ナイトホークとは異なり、YF-22はロッキード社によって尾翼面積が過剰に大きく設計されていた。そのため、同社は量産型のF-22の尾翼サイズを20 - 30 %縮小した。ロッキード社とそのパートナーは、空力特性、強度、ステルス性を向上させるために、主翼と水平尾翼の後縁の形状を再設計し、主翼と水平尾翼の後退角を48度から6度縮小することにした。レーダー性能と空力特性を向上させるために、レドームと胴体の形状が変更された。専用のエアブレーキを廃止する代わりにフェザリング制御面が採用され、飛行制御法則を用いてフラップエルロンを反対方向に偏向させて抗力を増大させることにした。システムの配置と構造設計が改良された。最後に、パイロットの視界を改善するために、キャノピーが178 mm(7 in)前方に移動され、エンジンの吸気口が356 mm(14 in)後方に移動された[9][70][23]

事故

1992年4月25日、YF-22の2号機がエドワーズ空軍基地で着陸復行デモンストレーション中に滑走路に墜落した。テスト・パイロットのトーマス・A・モーゲンフェルトは脱出しなかったが、無傷で脱出することができた。墜落の原因は、低高度デモンストレーション飛行中にパイロット誘導振動(PIO)を防止できなかった飛行制御ソフトウェアのエラーであることが判明した。機体は表面的な修理を受けたものの、二度と飛行することはなく、後にアンテナ試験モデルとして使用された。この事故を受けて、F-22の飛行制御法則、つまり制御入力が機体の動きや反応にどのように変換されるかを制御するアルゴリズムを、制御面のレート/位置飽和とPIOトリガーのメカニズムの非線形効果をより適切に考慮するように変更した[71]

現存する機体

YF-22は国立アメリカ空軍博物館に一時的に展示されている。

仕様(YF-22A)

YF-22の3面図

出典: Miller[74], Pace[75], Baker[76], Sweetman[77], Aronstein & Hirschberg[78](注:一部の仕様は推定値である)

諸元

性能

  • 最大速度: M2.2、2,337 km/h (1,262 kt) 1,452 mph
  • 巡航速度: M1.58、1,679 km/h (906 kt) 1,043 mph
  • フェリー飛行時航続距離: 3,700 km (2,000 nm) 2,300 mi
  • 航続距離: 1,300 - 1,500 km (700 - 800 nm) 810 - 920 mi
  • 実用上昇限度: 19,800 m (65,000 ft)
  • 翼面荷重: 360 kg/m2 (73.8 lb/ft2
  • 推力重量比: 1.13
  • 最大推力重量比: 戦闘重量時1.35

武装

使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

脚注

注釈

  1. 1 2 ロッキード社は1995年マーティン・マリエッタ社と合併してロッキード・マーティンとなった。
  2. ステルス性の高い湾曲したレドームは、ロッキード社が1985年初頭に克服した最後の課題であった[3]
  3. 入札に応じた7社は、ロッキード社、ボーイング社、ジェネラル・ダイナミクス社、マクドネル・ダグラス社、ノースロップ社、グラマン社、ノースアメリカン・ロックウェル社であった[14]
  4. 請負業者チームは、互いの試作機を比較するのではなく、SPOに対して「密封封筒」型の飛行性能予測を提出し、それに基づいて試作機が評価されることになっていた[19]
  5. 当初の作業分担は、ロッキード社が35 %、ボーイング社が32.5 %、ジェネラル・ダイナミクス社が32.5 %であった[20]
  6. AMRAAMの翼端を切り詰めた派生型であるAIM-120Cが最終的に開発され、結果的にF-22のミサイル内部搭載量を8発に増やすことができた[25]
  7. ロッキード・カリフォルニア社の社長、リチャード・ヘッペも重要な役割を果たすことになるだろう[26]

出典

  1. 1 2 Fact sheet: Lockheed-Boeing-General Dynamics YF-22”. U.S. Air Force (2009年2月11日). 2012年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月18日閲覧。
  2. Aronstein and Hirschberg 1998, p. 30.
  3. 1 2 3 4 5 Hehs 1998, Part 1.
  4. Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 39–42.
  5. Sweetman 1991, pp. 10–13.
  6. Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 45–58.
  7. 1 2 Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 70–78.
  8. 1 2 Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 87–88.
  9. 1 2 Williams 2002, p. 5.
  10. Mullin 2012, p. 13.
  11. Mullin 2012, pp. 18–19.
  12. Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 82–85.
  13. Mullin 2012, pp. 19–21.
  14. Miller 2005, pp. 14, 19.
  15. Goodall 1992, p. 94.
  16. Miller 2005, pp. 19–20.
  17. Jenkins and Landis 2008, pp. 233–234.
  18. 1 2 Williams 2002, pp. 5–6.
  19. Aronstein and Hirschberg 1998, p. 137.
  20. Miller 2005, p. 44
  21. 1 2 3 4 Jenkins and Landis 2008, p. 235.
  22. Aronstein and Hirschberg 1998, p. 164.
  23. 1 2 3 4 5 6 7 Hehs 1998, Part 2.
  24. Mullin 2012, pp. 31–32.
  25. Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 184–185.
  26. Mullin 2019.
  27. Mullin 2012, p. 29.
  28. 1 2 Miller 2005, pp. 19–24.
  29. Mullin 2012, p. 30.
  30. Aronstein and Hirschberg 1998, p. 119.
  31. Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 104–121.
  32. Kohn, Lt. Col. Allen E.; Rainey, Lt. Col. Steven M. (9 April 1999). “F-22 Flight Test Program Update”. SETP 41st Symposium (Society of Experimental Test Pilots). オリジナルの17 July 2014時点におけるアーカイブ。.
  33. Bailey 1990, p. 34.
  34. Military Aircraft Names”. Aerospaceweb.org. 2009年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月26日閲覧。
  35. "“Lockheed Martin Joint Strike Fighter Officially Named 'Lightning II' (Press release). Official Joint Strike Fighter program office. 7 July 2006. 2006年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2011年6月23日閲覧.
  36. 1 2 3 Mullin 2012, pp. 38–39.
  37. 1 2 Miller 2005, p. 74.
  38. “ATF procurement launches new era”. Flight International (London: Reed Business Information) 130 (4037): 10–11. (9–15 November 1986). ISSN 0015-3710. オリジナルの24 July 2012時点におけるアーカイブ。 2011年6月24日閲覧。.
  39. Miller 2005, pp. 90–93.
  40. “Pentagon relaxes ATF design secrecy”. Flight International (London: Reed Business Information) 137 (4217): 4. (23–29 May 1990). ISSN 0015-3710. オリジナルの5 November 2012時点におけるアーカイブ。 2011年6月24日閲覧。.
  41. “Lockheed's ATF Stresses Agility”. Flight International (London: Reed Business Information) 138 (4233): 46–47. (12–18 September 1990). ISSN 0015-3710. オリジナルの5 November 2012時点におけるアーカイブ。 2011年6月23日閲覧。.
  42. YF-23 fact sheet”. National Museum of the U.S. Air Force. 2011年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月24日閲覧。
  43. Aronstein and Hirschberg 1998, p. 284.
  44. Katz, Dan (7 July 2017). “The Physics And Techniques of Infrared Stealth”. Aviation Week (Penton Media). オリジナルの14 August 2018時点におけるアーカイブ。 2019年4月12日閲覧。.
  45. Aronstein and Hirschberg 1998, pp. 131–132, 144.
  46. Miller 2005, p. 83.
  47. “Naval YF-22 Would Have Swing Wings, But No Prototype Needed”. Aerospace Daily (McGraw-Hill, Inc): p. 359. (1990年8月31日)
  48. Aronstein and Hirschberg 1998, p. 237.
  49. Aronstein and Hirschberg, p. 239.
  50. “A/F-X Unveiled”. Flight International (Reed Business Information): 12–13. (26 January – 1 February 1994).
  51. Williams 2002, p. 5.
  52. 1 2 3 “YF-22 flies as ATFs head for deadline”. Flight International (London: Reed Business Information) 138 (4237): 6. (10–16 October 1990). ISSN 0015-3710. オリジナルの21 May 2011時点におけるアーカイブ。 2011年6月23日閲覧。.
  53. Goodall 1992, p. 99.
  54. 1 2 3 4 Williams 2002, p. 6.
  55. "YF-23 would undergo subtle changes if it wins competition". Defense Daily, pp. 62–63, 14 January 1991.
  56. Jenkins and Landis 2008, p. 236.
  57. Goodall 1992, pp. 102–103.
  58. Morgenfeld, Thomas A. (17 April 2022). YF-22 – Road to the Raptor with Tom Morgenfeld, Test Pilot. Torrance, California: Western Museum of Flight. 2023年6月30日閲覧.
  59. Miller 2005, pp. 38–39.
  60. Jenkins and Landis 2008, p. 234.
  61. Miller 2005, p. 38.
  62. Goodall 1992, p. 110.
  63. Miller 2005, p. 76.
  64. 1 2 Williams 2002, pp. 6–7.
  65. Warwick, Graham (6–12 May 1992). “Software suspected in YF-22 ATF accident”. Flight International (London: Reed Business Information) 141 (4317): 12. ISSN 0015-3710. オリジナルの25 September 2011時点におけるアーカイブ。 2011年6月24日閲覧。.
  66. Pearlstein, Steven; Gellman, Barton (1991年4月24日). “Lockheed Wins Huge Jet Contract; Air Force Plans to Buy 650 Stealth Planes At $100 million Each”. The Washington Post
  67. Anderson, William D.; Mortara, Sean (April 2007). “F-22 Aeroelastic Design and Test Validation”. 54th AIAA/ASME/ASCE/AHS/ASC Structures, Structural Dynamics, and Materials Conference (American Institute of Aeronautics and Astronautics (AIAA)): 4. doi:10.2514/6.2007-1764. ISBN 978-1-62410-013-0.
  68. F-22A Raptor goes operational”. U.S. Air Force (2005年12月15日). 2012年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月24日閲覧。
  69. Parsons, Gary. "Final F-22 Delivered". Archived 13 March 2016 at the Wayback Machine. . Combat Aircraft Monthly, 3 May 2012. Retrieved 10 April 2014.
  70. Pace 1999, pp. 12–13.
  71. Harris, Jeffrey; Black, G. T.. “F-22 control law development and flying qualities, AIAA Paper 96-3379 (A96-35101)”. 21st Atmospheric Flight Mechanics Conference (American Institute of Aeronautics and Astronautics): 156. doi:10.2514/6.1996-3379.
  72. YF-22 Raptor/87-700”. aerialvisuals.ca. 2024年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月18日閲覧。
  73. YF-22 Raptor/87-701”. aerialvisuals.ca. 2024年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月13日閲覧。
  74. Miller 2005, p. 102.
  75. Pace 1999, pp. 14–15.
  76. Baker 1995, pp. 28–29, 32.
  77. Sweetman 1991, p. 93.
  78. Aronstein 1998, pp. 131, 154.

参考文献

追加情報源

関連項目

関連開発

  • F-22 ラプター - アメリカのステルス制空戦闘機
  • FB-22 – F-22ラプターをベースにアメリカ空軍向けに提案された爆撃機
  • X-44 マンタ – ロッキード・マーティンによるコンセプト機設計

類似の航空機

  • YF-23 – アメリカ空軍の先進戦術戦闘機計画の試作実証機

外部リンク


YF-22

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:43 UTC 版)

F-22 (戦闘機)」の記事における「YF-22」の解説

ATF計画開発され試作機主翼後退角など、量産機細部異なる。2機製造され1号機(87-0700)にジェネラル・エレクトリック社の「YF120-GE-100」を、2号機(87-0701)にはプラット・アンド・ホイットニー社の「YF119-PW-100」がそれぞれ搭載されており、同じ2種類エンジン搭載したYF-23との選考結果2号機採用され基本型となる。1号機1998年3月国立アメリカ空軍博物館所蔵2号機1992年5月26日展示機として再生される

※この「YF-22」の解説は、「F-22 (戦闘機)」の解説の一部です。
「YF-22」を含む「F-22 (戦闘機)」の記事については、「F-22 (戦闘機)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「YF-22」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「YF-22」の関連用語

YF-22のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



YF-22のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのYF-22 (航空機) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのF-22 (戦闘機) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS