Wm. クナーベ& Co.とは? わかりやすく解説

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Wm. クナーベ& Co.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 00:49 UTC 版)

1884年頃のクナーベ製グランドピアノの鍵盤蓋

Wm. クナーベ& Co.(Wm. Knabe & Co.、クナービとも[1][2])は、19世紀中頃から20世紀の初めまでアメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアに存在したピアノ製造業者である。1982年まではニューヨーク州イースト・ロチェスター英語版エオリアン・カンパニー英語版の一事業として存続した。現在は三益楽器によって製造されるピアノの一ブランドである。

歴史

ヴィルヘルム・クナーベは1803年6月3日にザクセン=ヴァイマル公国クロイツブルク英語版で生まれた。1813年のドイツにおけるフランスの軍事行動によって父親のようにアポセカリー英語版となるために学ぶことができなくなり、代わりにキャビネット職人に弟子入りし、その後2年間見習いとして働き、次に3年間ゴータでピアノ職人のために働いた。その後ドイツのいくつかの都市でピアノ職人見習いとして働いた。

最初の工場(1837年)

1831年、クナーベはザクセン=マイニンゲン公国からアメリカ合衆国へ移住する婚約者の家族に同行したが、家長が航海中に死去したため、クナーベと花嫁は兄弟が数年早く定住していたミズーリ州ハーマン英語版への旅の途中のボルチモアにとどまった。クナーベは有名なピアノ職人Henry Hartgeの下で働き、結局は農業従事者になる計画を断念した。4年後、クナーベはLexington通りのLiberty通りの角にある自宅で中古ピアノの販売と修理を始めた。

Knabe & Gaehle

1839年、クナービはピアノを製造する目的のためにHenry Gaehleと共同経営を始め、1841年までに彼らはSouth Liberty通り13にあるより大きな作業場へと移った[3]。1843年、彼らはEutaw通りとCowpenアレーの角に商品陳列室を開き、その4年後にはEutaw通り9に商品陳列室を移転し、ここで180米ドルから400米ドルの価格でピアノを販売した[4]。1852年までに、店はEutaw通り4、6、8、9、11へと拡大した[5]。Knabe & Gaehleは1848年、1849年、1850年にスクエア・ピアノで、1849年にはグランドピアノでもメリーランド機械振興会から一等賞を取った。

1852年、会社はEdward Bettsを共同経営者に加えてKnabe, Gaehle & Co.として再編され[6]、1853年までに宣伝された彼らの会社は南部で最大で、100人を超える工員を雇用した[7]。彼らは「チッカリングのようなダブルアクション英語版」を持つ6から7オクターブの音域のピアノを製造し、200米ドルから500米ドルで販売した[8]

1853年11月、Eutaw House近くのCowpenアレーにあった工場が火事になり、推定損失額は19万米ドルであった[9]。5週間後にはPaca通りちかくのボルチモア通りにあった工場が火事になり[10]、伝えられるとこによるとほとんど保険で保障されなかった。

Wm. Knabe & Co.

共同経営会社を解消するために1855年初頭に訴訟が始まった[11]。Henry Gaehleは死去し、クナービは残りの在庫と資材を全て購入したこと、Eutaw Houseの向いにあるNorth Eutaw通り1、3、5、7にある古くからの売り場でWm. Knabe & Co. として商売を続けると宣伝した[12]。代表社員となったWilliam GaehleはWm. Gaehle & Co. として営業を続けると宣伝し、Pratt通りとGreen通りの角の工房でグランドピアノとスクエア・ピアノを製造し、Eutaw通りとFayette通りの角に展示場を構えた[13]

1884年に製造されたクナーベ製グランドピアノのきめ細かい棚

クナーベはWest通りとChina通りの角にあった元製紙工場を新工場のために購入し、1859年までにボルティモア通り207に商品展示場を開設した[14]。クナーベは1855年、1856年、1857年、1858年にメリーランド機械振興会英語版からスクエア・ピアノで金メダルを獲得し[15]、1857年にワシントンDCのメトロポリタン協会から銀メダル、1856年にフィラデルフィアのフランクリン協会英語版からメダル、1855年と1856年にバージニア州リッチモンドの機械工協会英語版から一等賞を獲得した[16]

1860年、クナーベはEutaw通りとWest通りに新たに5つの工場の建設を開始したが、南北戦争の勃発のためその中の一つしか完成できなかった。南北戦争によって、クナーベは南部の主要市場を失なうこととなり、その損失を埋め合わせるために西部で新たな取引を開拓せざるをえなくなった[17]。ウィリアム(ヴィルヘルム)・クナービは1864年5月21日に死去し、息子のウィリアムとアーネスト・J・クナービ兄弟と義理の息子のチャールズ・ケイデルが後を継いだ。

1866年、Wm Knabe & Co. は鋳鉄製フレームに直接螺入される代わりにより重い真鍮の部品へと螺入されたアグラフを持つ「agraffe treble」を発表した[18]

ボルチモア市 – Knabe & Co. の工場(1866年)

1866年までに、彼らは約230人の工員を雇用し、年間約千台のピアノ(アップライト、スクエア、グランド)を製造した[19]。工場は30馬力(22 kW)の蒸気機関や蒸気駆動のエレベータ、乾燥室を備え、グランドピアノのケース、響板、アクションの製造、ケースのワニス仕上げ、鋳鉄フレームの金めっきを行う12メートル幅の第二建物が増設された[20]。さらなる補強とキューポラ(円頂塔)によって1869年に工場(Eutaw通りに64 m、West通りに5 m面していた)が完成した[21]。米国でのKnabe & Co. の売上はニューヨークのスタインウェイ・アンド・サンズとボストンのチッカリング・アンド・サンズに次いで第3位につけ[22]、1870年までの生産代数は週に約40台(600米ドルから2千米ドルの間の価格)と見積られた[23]

1873年、Wm. Knabe & Co. はニューヨーク5番街に自社経営の商品展示場を開設した。1876年のフィラデルフィア万国博覧会にはグランドピアノ、スクエアピアノ、アップライトピアノ、Tschudi & Broadwood製ハープシコードを出展し[24]、改訂された表彰システムによりその他多くの共同出展者と共に最高の栄誉を手にした[25]。1882年にはチェスター・A・アーサーのためにホワイトハウスへローズウッド製コンサートグランドを届けた[26]

ボルティモアのEutaw通りとWest通りの角にあったWm. Knabe & Co. のピアノ工場(1873年)。
Wm. Knabe & Co. の盾商標。1904年に初めて商業的に使用された。

ウィリアム・クナービ Jr. は1889年に死去した.[27]。会社は同年、アーネスト・J・クナービを社長として百万米ドルの資本金で法人格を取得した。

アーネスト・J・クナービは1894年に死去し[28]、工場で修行していた息子達が後を継いだ。アーネスト・J・クナービ Jr. は社長に選出され、ウィリアム・クナービが副社長兼会計係となった[29]

Wm. Knabe & Co. は1903年までにカナダとイングランドに代理店を設立し、事業をさらに拡張する目的のために工場を抵当に入れた[30]。1906年までに、工場は大規模に拡張された元の建物と7つの建物を占有し、念入りに設計された総床面積は約300,000平方フィート (28,000 m2)[31]、従業員は765人を数えた。工場設備は個別に動力が供給された機械やボイラーと連結された集塵システムといった現代的な電気器具を含んでいたものの、Knabeはピアノは丁寧に手作りする必要があるという基準と、そのために完成までにアップライトで6か月、グランドピアノで2年を要するということを宣伝した[32]

アメリカン・ピアノCo.

1908年、Wm. Knabe & Co. とチッカリング・アンド・サンズ、ニューヨーク州イースト・ロチェスターのFoster-Armstrong Co. はニュージャージー州法の下でアメリカン・ピアノ・カンパニー(略称Ampico)を設立した。アーネスト・J・クナービ Jr. (社長)とチッカリング・アンド・サンズのC. H. W. Foster、Foster-ArmstrongのGeorge G. Fosterがアメリカン・ピアノCo. を率い、各自はそれぞれの会社とHaines Brothers、Marshall & Wendell、Brewster、J. B. Cook & Co. を管理し、合わせて年間約1万8千台のピアノを生産した[33]

クナービ・ブラザーズ

アーネストおよびウィリアム・クナービは1909年に職を辞し、ニューヨークでの一連のビジネストラブルの後、1911年にオハイオ州でクナービ・ブラザーズを法人組織にした。会社はシンシナティにオフィスを構え[34]、近隣のノーウッド英語版[35]のSmith and Nixonのかつての工場で「木材は平方インチでワイヤーの割り当ては小数点の単位でピアノを理解し、商業主義のくびきから解き放たれ[36]」、アップライトおよびグランドピアノを製造した。アメリカン・ピアノCo. は名称の使用に関して訴訟を起こしたが、結果として下された差し止め命令ではクナービ・ブラザーズに元の看板を使用を止めさせ、兄弟に会社が新しい会社であることを示すことを要求しただけであった[37]。工場は1912年1月に焼けたが[38]、跡地に現代的な工場を建設する前に、一時的な工場ですぐに生産を再開した[39]。会社は1916年の終わり頃に未払いの貸付金のために管財人の管理下に置かれ[40]、兄弟はその年の年末までに破産を宣告した[41]

アーネスト・J・クナービは1927年に死去し[42]、ウィリアム・クナービは1939年に死去した[43]

Ampico

1889年に出版されたクナーベピアノの広告

1927年、Wm. Knabe & Co. はニューヨークの商品陳列室を三十九丁目五番街437番地から52丁目と五番街の角の657番地へ移転させ[44]、1928年には全てのブランドの売上を統合するアメリカン・ピアノCo. の戦略の一環として47丁目五番街にあるAmpicoタワーへ移転した[45]。このアメリカン・ピアノCo. の利益の急激な現象を埋め合わせるための試みは失敗に終わった。アメリカン・ピアノCo. は1929年に管財人の管理下に置かれ、クナーベの負債は28万6千米ドル、資産は41万5千米ドルと記載された[46]

メトロポリタン・オペラの「公式ピアノ」としての1935年のクナーベの広告

1930年、アメリカン・ピアノ・カンパニーの資産はデラウェア州の法律の下で新たに法人化されたアメリカン・ピアノ・コーポレーションによって購入された。この新会社の役員には旧アメリカン・ピアノCo. の元役員とエオリアン・コーポレーションの役員が含まれていた[47]。Knabeの工場やボストンにあったチッカリングの工場は閉鎖され、それらの生産は最終的にはニューヨーク州のイースト・ロチェスターに移された(別部門としてそれぞれ設立された)。ボストンのメイソン・アンド・ハムリンやニューヨーク州シラキュースのAmphionを含む旧工場は売りに出された[48]

20世紀末、EutawおよびWest通りの見捨てられたクナーベのボルチモア工場はボルチモア・レイブンズアメリカンフットボールスタジアムを建設するために破壊された。スタジアムの南西角にある歩道の鍵盤モザイクはKnabeの遺産は称えている。工場の上に位置していたキューポラは現在ボルチモア工業博物館英語版の敷地に立っている[49][50]

エオリアン-アメリカン

1932年、アメリカン・ピアノ・コーポレーションはエオリアン-ウェブナーのピアノ子会社であるエオリアン・カンパニーと合併し、エオリアン-アメリカン・コーポレーションを設立した。この会社は20を越えるピアノブランドの管理[51]とアクション製造部門およびフレーム鋳造部門を集約した[52]。1936年、エオリアン-アメリカンは米国においてキンボールボールドウィン、Winter & Co. に次いでピアノ生産数で第4位につけた[53]

1927年から副社長と本部長を務めていた[54]Berthold Neuerは1938年に死去し[55]、後継者のRichard K. Paynterは1940年に死去した[56]

1942年、イースト・ロチェスター工場は軍用航空機の部品を製造する契約を結び、これによって操業中の設備と社員は維持されたが[57]、1949年の終わり頃までにピアノ生産は最大稼動に戻った[58]。エオリアン・カンパニーおよびアメリカン・ピアノ・コーポレーションは1951年に資本構成を改め、エオリアン-アメリカン・コーポレーションと合併し[59]、1957年にニューヨーク州ブロンクスを拠点とするWinter & Co. の所有者によって購入された[60]

1981年まで、イースト・ロチェスター工場にあった共同部門は約300人を雇用し[61]、翌年に閉鎖した[62]

ソーマー& Co.

1985年、ソーマー& Co. はKnabeとメイソン・アンド・ハムリンの商標とそれらの鋳型と設備をエオリアンの主要な債権者であるCiticorp Industrial Credit Co. から購入した。ソーマー& Co. は両方の事業部の現行モデルの生産再開を計画していたが、自身も売られ、会社はメイソン・アンド・ハムリンの子会社としてのSohmerおよびKnabeに再編された[63]

クナーベの称賛者

今日

Wm. Knabe & Co. ピアノは三益楽器(サミック)によって製造されている。三益楽器は2001年にメイソン・アンド・ハムリンの所有者であるPianoDiscからこの名称を手に入れた[64]

2007年時点で、Knabeは3種類のサイズのアップライトピアノ – 3つの家具調119 cmモデル、121 cmモデル、131 cmモデル– および4種類のサイズのグランドピアノ – 158 cm(5フィート3インチ)WKG53、173 cm(5フィート8インチ)WKG58、193 cm(6フィート2インチ)WKG64、215 cm(7フィート)WKG70モデル– を提供している。

2006年初め、米国およびカナダにおけるサミックの販売業者であるサミック・ミュージック・コーポレーションは、テネシー州ギャラティン英語版に210,000-平方フート (20,000 m2)の流通センターと工場の建設を開始したことを発表した。ここでは、2006年末または2007年の初めからクナーベブランドとJ・P・プレンバーガーブランドのピアノの製造が計画されていた[65]

脚注

  1. ^ やまもとのぶお. “不滅の鍵盤によるリサイタル”. 2018年5月3日閲覧。
  2. ^ Knabeのドイツ語発音は/ˈknaːbə/ である。本稿は日本国内での一般的な表記に従うが、ピアノメーカーとしては米国に移住した後に設立されており、英語発音に沿った表記がより適切であると考えられる。米国での発音はKuh-naa-bee(クナービ)。
  3. ^ The Baltimore Directory for 1845, John Murphy, Baltimore, 1845 p.80
  4. ^ advertisement Matchetts Baltimore Director, for 1847–'8 R. J. Matchett, Baltimore. 1847 p.448.
  5. ^ advertisement Baltimore Wholesale Business Directory and Business Circular, for the Year 1852 I. Hartman, Baltimore, 1852 p.21
  6. ^ advertisement Adams Sentinel and General Advertiser Gettysburg, Pennsylvania March 29, 1852
  7. ^ advertisement Baltimore Wholesale Business Directory and Business Circular, for the Year 1853 I. Hartman, Baltimore, 1853 p.28
  8. ^ advertisement (Erie Music Store) The Erie Observer Erie, Pennsylvania, March 11, 1854 p.4 (issued November 12, 1853)
  9. ^ David A. Dana The Fireman: The Fire Departments of the United States, with a Full Account of All Large Fires James French and Company, Boston. 1858 p.254; the stock alone was valued at $60,000 – "Large Fire in Baltimore" New York Times November 6, 1854 p.4
  10. ^ J. Thomas Scharf The Chronicles of Baltimore; being a Complete History of "Baltimore Town" and Baltimore City from the Earliest Period to the Present Time Turnbull Brothers, Baltimore 1874 p.547
  11. ^ William Knabe vs. Henry Gaehle and Edward Betts. Dissolution of Knabe, Gaehle & Co. C17 Baltimore City Superior Court (Chancery Papers) MSA C168; Accession No. 40,200-5143-1/14, MSA No. C168-747 Location: 2/16/6/14. January 17, 1855
    William Gaehle vs. William Knabe, Edward Betts, and Western Bank of Baltimore. Dissolution of Knabe, Gaehle & Co. C30 Baltimore City Superior Court (Chancery Papers) MSA C168; Accession No. 40,200-5371 MSA No. C168-978 Location: 2/16/6/32 August 31, 1857
  12. ^ advertisement Woods' Baltimore Directory, for 1856–'57 John W. Woods, Baltimore p.179
  13. ^ advertisement Wood's Baltimore Directory 1856, p.119
  14. ^ advertisement Philadelphia Press, Mar. 21, 1859
  15. ^ "Pianos! Pianos!" The Republican Compiler Gettysburg, Pennsylvania, January 18, 1859 p.2; reportedly Knabe only had seven weeks after the dissolution of Knabe, Gaehle & Co. to prepare his piano for the fair in 1855
  16. ^ advertisement The Republican Compiler April 18, 1859 p.3
  17. ^ Spillane p.133; James W. Sheahan and George P. Upton The Great Conflagration. Chicago: Its Past, Present and Future. Union Publishing Co., Chicago. p.354; Julius Bauer & Co. acted as Knabe's Northwestern agent as well as their New York agent from 1862 until 1873
  18. ^ William Nordhoff "Improvement in Pianos" United States Patent no. 57,257 April 14, 1866
  19. ^ James Parton "The Piano in the United States" The Atlantic monthly vol.20 no.117 p.93
  20. ^ "The Piano Forte Manufactory of Knabe & Co., Baltimore" Debow's review, Agricultural, commercial, industrial progress and resources. vol.2, no.1, p. 71-73
  21. ^ "The Great Southern Piano Manufactory" Debow's review, Agricultural, commercial, industrial progress and resources. vol.1, no. 2, 1866, p. 209
  22. ^ "Piano-fortes" The Great Industries of the United States: Being an Historical Summary of the Origin, Growth, and Perfection of the Chief Industrial Arts of this Country J. Burr & Hyde, Hartford. 1873. p331
  23. ^ "The Knabe Piano" The Columbia Spy Columbia, Pennsylvania August 20, 1870 p.3
  24. ^ International Exhibition, 1876. Official Catalogue John R. Nagle and Company, Philadelphia. 1876. p.265
  25. ^ "Piano Award – Knabe Victory – Unanimous Award of Highest Honors to William Knabe & Co." New York Times October 1, 1876; all of the awards had equal value, but each included specific comments from the judges that the exhibitors could publish as they saw fit – "The Centennial Awards" New York Times September 28, 1876.
  26. ^ "A Knabe in the White House" New York Times December 16, 1882 p.5
  27. ^ Daniel Spillane History of the American Pianoforte D. Spillane, New York. 1891. p.132
  28. ^ Henry Hall, ed. America's Successful Men of Affairs vol.2 The New York Tribune, New York. 1896 p.477
  29. ^ Alfred Dolge Pianos and their Makers vol.2, Covina Publishing Company, Covina CA, 1913. p.121.
  30. ^ "Knabe Company Extension – Bond Issue of $450,000 Made by Manufacturers" New York Times May 2, 1903
  31. ^ "Three Generations of Piano Manufacturers" McClure's Magazine vol.26, The S. S. McClure Co., New York and London. 1906 advertising section p.16m-16n
  32. ^ "Inspired Handiwork" The American Monthly Review of Reviews vol.24 1906. advertising section p.41
  33. ^ "Piano Makers form $12,000,000 Combine" New York Times June 10, 1908 p.5
  34. ^ "Knabe Bros. Co." The Newark Advocate Newark, OH, May 5, 1911 p.12
  35. ^ William N. Osborne Music in Ohio Kent State University Press, Kent Ohio 2004 p.494
  36. ^ advertisement The Newark Advocate February 25, 1913 p.7
  37. ^ Six, Baer & Fuller Dry Goods Co. et al. v. American Piano Co. (211 Fed. Rep., 271.) 8th Circuit, November 28, 1913 The Trade-Mark Reporter vol. 4, The United States Trade-mark Association, New York. 1914 p.246
  38. ^ "Fires" The American Library Annual, 1913 Publishers' Weekly, 1913, New York. p.38; the value given is $100,000
  39. ^ "Knabe Brothers Piano Company" The Newark Advocate February 29, 1912 p.8
  40. ^ "Receiver for Piano Company" Van Wert Daily Bulletin Van Wert, OH December 9, 1916 p.1; the note was for $100,000
  41. ^ "Pianomakers in Bankruptcy" New York Times December 31, 1916. p.17; Their combined liabilities were more than $660,000 and their declared assets amounted to $476.38
  42. ^ "E. J. Knabe Found Dead" New York Times September 28, 1924 p.S8
  43. ^ "William Knabe, 66, Piano Manufacturer" Special to the New York Times March 1, 1939 p.27
  44. ^ advertisement New York Times April 14, 1927
  45. ^ "William Knabe & Co. Move" New York Times March 1, 1928; "Piano Salesrooms United" New York Times September 26, 1928 p.45
  46. ^ "Business Records" New York Times December 27, 1929, p.45
  47. ^ "Change in American Piano" New York Times May 22, 1930 p.47
  48. ^ "The American Piano Company" Harvard Business School case study, 1934, reproduced in the AMICA Bulletin and available from the Pianola Society
  49. ^ Gunts, Edward. "Going, going: Last of city's giant gas holders coming down," The Baltimore Sun, Friday, October 19, 2012.
  50. ^ "Wm. Knabe & Co. Piano Forte Factory," Baltimore History Bits, Tuesday, September 6, 2011.
  51. ^ "Deals & Developments" Time Magazine August 8, 1932
  52. ^ "Piano Merger Links 2 Largest Makers" New York Times July 30, 1932. p.17
  53. ^ "Merchants of Music" Time Magazine August 10, 1936
  54. ^ "Now Knabe's Vice President" New York Times June 1, 1927 p.37
  55. ^ obituary New York Times July 1, 1938 p.19
  56. ^ obituary New York Times August 10, 1940 p.13
  57. ^ "Piano Industry to be Converted" New York Times June 22, 1942 p.23
  58. ^ "Piano Producers Optimistic on Fall" New York Times July 28, 1949
  59. ^ "Aeolian-American Merger" New York Times May 18, 1951. p.54
  60. ^ Trademark Assignment Details, Reel/Frame 0053/0478 May 21, 1959; Reports of the Tax Court of the United States Government Printing Office, Washington, D. C., 1969. p.110
  61. ^ Susan Caust Farrell, Directory of Contemporary American Musical Instrument Makers University of Missouri Press, Columbia MO 1981 p. 2
  62. ^ Pierce Piano Atlas 9th ed.
  63. ^ Larry Fine. The Piano Book Brookside Press, Boston. 1987 p.100; Leslie Brokaw, "Sour Notes" Inc. Jan 1990
  64. ^ "Samick Acquires Wm. Knabe & Co." Music Trades March 1, 2001
  65. ^ Samick Music Corp. to Relocate North American HQ to Tennessee Expansion Management February 10, 2006

参考文献

外部リンク


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