王忠嗣とは? わかりやすく解説

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王忠嗣

(Wang Zhongsi から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/26 04:04 UTC 版)

王 忠嗣(おう ちゅうし、神龍元年(705年)- 天宝8載(749年))はの武将。元々は王訓という名であったが、玄宗に名を賜り改名した。本貫太原郡祁県突厥吐蕃を相手に勝利を重ね、唐の国土を守った。しかし、兵の死を犠牲にする敵地への侵攻を拒否し、命令に背いたために左遷させられ、その地で没した。安禄山の反乱を予期していたことでも知られる。


  1. ^ 王忠嗣の没年が旧唐書によると、天宝8載で45歳であるので、この記述によるとこの年10歳となる
  2. ^ この頃から、その声明のために、朝廷に入り宰相となるのを李林甫に警戒されていたと言われる。
  3. ^ 旧唐書には「暴卒」とあるため、自然死でない可能性も考えられる。


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