ヴラニェとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヴラニェの意味・解説 

ヴラニェ

(Vranje から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 06:19 UTC 版)

ヴラニェ

Vranje/Врање

ヴラニュ市街の眺め
基礎自治体
位置

セルビアにおけるヴラニェの位置
座標 : 北緯42度33分15秒 東経21度53分50秒 / 北緯42.55417度 東経21.89722度 / 42.55417; 21.89722
行政
 セルビア
  プチニャ郡
 基礎自治体 ヴラニェ
市長 Miroljub Stojčić
SPS
人口
人口 (2011年現在)
  基礎自治体 82,782人
  市街地 54,456人
その他
等時帯 CET (UTC+1)
夏時間 CEST (UTC+2)
市外局番 +381 17
ナンバープレート VR
公式ウェブサイト : www.vranje.org.rs

ヴラニェセルビア語: Vranje/Врање)は、セルビア南部の都市及び基礎自治体で、プチニャ郡の行政的な中心都市である。人口は2011年現在市街地で54,456人、基礎自治体全体で82,782人である。

歴史

古代、今日のヴラニェ周辺にはトラキア人の様々な部族が住んでおり、プチニャ郡内には同様にトラキア人の部族であるアグリアネス (en(パエオニア族)が住んでいた。ローマ人がこの地にやって来たのは紀元前2世紀から1世紀頃とされる。ローマ人が築いた要塞はその後、539年から544年頃のフン族の襲来によって廃れてしまった。これら地域にはカレ、ヴラニスカ・バニャ、グラディシュテなどが含まれる。[1]ヴラニュの地名は古いセルビアの言葉で黒を意味するヴラン ("vran") に由来するとされ、東ローマ帝国コムネノス王朝初代皇帝であるアレクシオス1世コムネノスの娘で王妃で歴史家でもあるアンナ・コムネナの著書アレクシアド (enに著されている。ブルガリアの支配を経て1207年セルビア王国ステファン・ネマニッチの統治となる。1455年オスマン帝国の支配下に入りニシュ・サンジャクの一部となった。その後一時期、1688年から1692年にかけてオーストリアによる支配となってヴラニェはフォン・ラーム家が統治するが、1878年までオスマンの支配が続き、セルビア王国の統治となる。第一次世界大戦時の1915年にはヴラニェ近辺はオヴチェポリェの戦い (enなどセルビアとブルガリアとの戦いの最前線となった。

白橋(Бели Мост/Beli most)

文化

オスマン時代、ヴラニェは重要な交易の場であった。ベリ・モスト(白橋)(Бели Мост/Beli most)は町のシンボルでムスリムの少女アイシャ(Ajša)とキリスト教徒の羊飼い少年ストイアン(Stojan)の叶わぬ恋話しの伝説からモスト・リュバヴィ(愛の橋)(мост љубави/most ljubavi)と呼ばれている。11世紀以来のマルコヴォ要塞が町の北部にあり、町には伝統的なバルカンやオスマンの建築物が残されている。

スポーツ

人口

1990年代終盤、ヴラニェはコソボ紛争等の影響からコソボやメトヒヤ周辺部からセルビア人の避難民が流入した。NATO軍のアライド・フォース作戦も大きな流入の波となった。

  • 人口推移
  • 1093: 3,900 ( アンナ・コムネナの著書による)
  • 1386: 5,800
  • 1800: 10,654
  • 1878: 15,875
  • 1900: 27,586
  • 1905: 34,110
  • 1910: 39,487
  • 1921: 43,221
  • 1931: 48,817
  • 1941: 53,000 (推計)
  • 1948: 32,472
  • 1953: 49,690
  • 1961: 54,261
  • 1971: 65,959
  • 1981: 76,094
  • 1991: 85,122
  • 2002: 94,052
  • 2011: 82,782

脚注

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴラニェ」の関連用語

ヴラニェのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴラニェのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴラニェ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS