ヴラホ・ブコヴァッツとは? わかりやすく解説

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ヴラホ・ブコヴァッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 23:42 UTC 版)

ヴラホ・ブコヴァッツ
Vlaho Bukovac
自画像
誕生日 1855年7月4日
出生地 ツァヴタット
死没年 1922年4月23日
死没地 チェコ,プラハ
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ヴラホ・ブコヴァッツ(Vlaho Bukovac、イタリア語名:Biagio Faggioni、1855年7月4日 - 1922年4月23日)はクロアチア生まれの画家である。写実主義や印象派まで、さまざまなスタイルの絵画を描いた。

略歴

当時、オーストリア=ハンガリー帝国の版図であった現在のクロアチアのツァヴタットで生まれた。11歳の1866年に叔父とアメリカ大陸に移民となって渡った。1870年代にペルーに住んだ後、サンフランシスコに住み、そこで独学で絵を学んだ。1877年にパリに渡り、国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)のアレクサンドル・カバネルのもとで学んだ。1885年から1893年まで、ダルマチアベルグラードセルビアの宮廷で働いた。

1893年にはザグレブに移り、1902年からウィーンに移り、1903年からプラハの美術院の教師となり、その職を亡くなるまで続けた。プラハで教えた学生には、ボフミル・クビシュタ(Bohumil Kubišta)、エミール・フィラ(Emil Filla)、ベドジフ・ファイグル(Bedřich Feigl)らがいる。

ブコヴァッツは様々なスタイルで描くことのできた画家で、初めは写実的な風俗画や風景画を描き、1882年のサロン・ド・パリで成功した。1990年代の終わりには印象派のスタイルに移り、点描も試みた。さらにアール・ヌーボーに分類される作品も描いた。また多くの優れた女性像を残している。

作品

参考文献

  • Zivco Bcic: Vlaho Bukovac; kosmopoliet uit Kroatië. Gemeentemuseum Den Haag, 2009.



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