トリパラディソスの軍会とは? わかりやすく解説

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トリパラディソスの軍会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 08:57 UTC 版)

トリパラディソスの軍会は、紀元前321年シリアオロンテス川近くの都市トリパラディソスにて行われたアレクサンドロス3世(大王)の遺将たち(ディアドコイ)の権力分割の協定である。それは紀元前323年に大王の死後に開かれたバビロン会議での決定を修正したものであった。


  1. ^ 尚、他にトリパラディソスの軍会を扱った史料としてポリュアイノスの『戦術書』(IV巻六章(アンティゴノス伝)四節)があるが、決定事項の記載は皆無である。一方、ユスティヌスの『地中海世界史』(XIII巻八節)では、アンティゴノスエウメネスをはじめとするペルディッカス残党討伐の責任者に就任にしたことのみ言及している。
  2. ^ アリアノス史料にのみ記されている。
  3. ^ 彼はトリパラディソス軍会の直前にペルディッカスによって、同地太守に任命されている。(ユスティヌス『地中海世界史』XIII巻六節)従って、留任ともとれる。
  4. ^ デクシッポスの史料では、バビロン会議時でセレウコスがバビロニア太守に任命されているが、ディオドロスとユスティヌスの史料では全軍総司令官であった。
  5. ^ ユニアヌス・ユスティヌスの史料に従うと、彼はバビロン会議から変更が無いため、留任ということになる。
  6. ^ デクシッポスの史料では、バビロン会議時でカルマニア太守にネオプトレモスが就任している。
  7. ^ ただしユスティヌスによればリュキアとパンヒュリアの前任者はネアルコスである。


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