月曜デモ (1989年)
(Monday demonstrations in East Germany から転送)
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月曜デモ(げつようデモ、ドイツ語: Montagsdemonstrationen)は、旧東ドイツ・ライプツィヒ県(現:ザクセン州の一部)のライプツィヒで始まった大衆運動。1989年から1990年にかけて可及的に波及し、強権的体制を敷いていたエーリッヒ・ホーネッカーら社会主義統一党(SED)政権幹部の辞任、ベルリンの壁崩壊への導火線となっていった。
- ^ 南塚信吾、宮島直機『’89・東欧改革―何がどう変わったか』 (講談社現代新書 1990年)P103-104
- ^ マイケル・マイヤー著、早良哲夫訳『1989 世界を変えた年』(作品社 2010年)P210-212
- ^ 2014年10月9日 ラジオ・ブランデンブルク
- ^ マイケル・マイヤー著、早良哲夫訳『1989 世界を変えた年』(作品社 2010年)P257-258
- ^ 永井清彦・南塚信吾・NHK取材班『社会主義の20世紀 第1巻』(日本放送出版協会 1990年)P100-101
- ^ ゴルバチョフはコチュマソフを通じて、東ドイツ市民のデモ隊の制圧に駐独ソ連軍を使わないよう、駐独ソ連軍の司令官スネトコフに指示していた。(ヴィクター・セベスチェン著 三浦・山崎訳『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』P485)
- ^ 1999年10月9日 フランクフルター・ルントシャウ
- ^ マイケル・マイヤー著、早良哲夫訳『1989 世界を変えた年』(作品社 2010年)P259)
- ^ ヴィクター・セベスチェン著 三浦・山崎訳『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』P494)
- 1 月曜デモ (1989年)とは
- 2 月曜デモ (1989年)の概要
- 3 関連項目
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