前田光世
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前田 光世(まえだ みつよ、男性、1878年12月18日 - 1941年11月28日)は、講道館黎明期の柔道家(7段)である。ブラジル帰化後の本名はオタービオ・ミツヨ・マエダ。1908年にスペインで得た通り名コンデ・コマ(Conde Koma)の名でも知られていた。グレイシー柔術の祖。
- ^ 横田順彌は著書『明治バンカラ快人伝』(光風社出版 1989年)の中で、「どうしても、それを裏付ける資料を見つけることができないが、一時、前田は講道館から破門されたという噂もある。もっとも、当時の講道館には破門制度はなかったともいうから、事実ではないのかもしれない」と書いており、拓務省に勤めておりブラジル移民に関わっていた長尾武雄の「しかし、講道館では、前田は柔道をもって興行している、日本武道をけがすものとして除名してしまった(中略)昭和の初め頃、講道館もやっと氏の功績を認め直したか、除名をとき」という発言も紹介している。
- ^ 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』新潮社、日本 (原著2011年9月30日)、330頁。
- ^ 角田房子 『アマゾンの歌 日本人の記録』中央公論社〈中公文庫〉、1976年、21頁。
- ^ なぜ柔道ではなく柔術を名乗ったかについては「講道館を破門の身であったため」「当時は柔術という名称の方が一般的だった」「柔道以外の柔術だった」等、諸説ある。
- ^ ただし「餓狼伝」では、この巷説が事実(あくまでも同作内における)として描写されている。また、夢枕獏は前田光世が講道館を破門されたのは、明治天皇を本気で投げてしまったためなどの噂を作中で披露している。
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