李広
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 16:15 UTC 版)
李 広(り こう、? - 紀元前119年)は、前漢の将軍。文帝・景帝・武帝に仕えた。飛将軍の綽名でも知られる。武勇に優れていたが戦功を認められることなく憤死した。本貫は涼州隴西郡成紀県(現在の甘粛省天水市秦安県)。秦の大将軍の李信の子孫にあたる。従弟に丞相になった李蔡、孫に李陵がいる。[2]
- ^ 『史記』(卷109):“李將軍廣者,隴西成紀人也。……廣家世世受射。孝文帝十四年,匈奴大入蕭關,而廣以良家子從軍擊胡,用善騎射,殺首虜多,為漢中郎。”“至莫府,廣謂其麾下曰;「廣結發與匈奴大小七十餘戰,今幸從大將軍出接單于兵,而大將軍又徙廣部行回遠,而又迷失道,豈非天哉!且廣年六十餘矣,終不能復對刀筆之吏。」遂引刀自剄。廣軍士大夫一軍皆哭。百姓聞之,知與不知,無老壯皆為垂涕。而右將軍獨下吏,當死,贖為庶人。”
- ^ “吉成 名高|設備・インストラクター・選手情報【エイワスポーツジム】”. masc.jp. 2024年2月23日閲覧。
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