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畠山義就

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 20:33 UTC 版)

畠山 義就(はたけやま よしひろ/よしなり)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将守護大名である。河内紀伊山城越中守護。足利氏足利将軍家)の一門にて室町幕府三管領家の1つである畠山氏出身。父は管領畠山持国、母は側室。幼名次郎、初名は義夏(よしなつ)。子に修羅義豊(基家)。猶子に政国


注釈

  1. ^ 『二川物語』、『豊前豊津小笠原家譜』。長将の弟政康の子としているが、実際には長将の子とされる。但し、持長の生年の応永3年(1396年)から考えると疑問視する向きもある。
  2. ^ この一連の出来事は、勝元・宗全への対抗策として畠山氏との提携を目論んだ義政の謀略とする説がある。勝元は義政への宗全赦免の取り成しで弥三郎への援助が出来ず、義夏の上洛も宗全が不在の時であり、結果として義政支持の義夏が畠山氏当主になったからである[2][3][4]
  3. ^ 義就には大和国人の支援もあった上、包囲中に寛正の大飢饉が発生したことも籠城が長引いた要因であった。また、籠城中に義就は河内国への文書発給を行っており、政長は名目上の河内守護に過ぎなかったと推測される[5][6][7][8]
  4. ^ 義政は義就と義敏を赦免して文正元年に大内政弘も赦免することで幕府派の大名結成を目論んでいた。しかし、家督を義敏に替えられることに反発した義廉は寛正6年(1465年)に赦免されたが依然として逼塞していた義就と接触、宗全も協力して文正の政変を起こし、政長に替わり自分の管領就任を狙って義就の挙兵を促した[9][10][11][12][13]
  5. ^ これは噂に過ぎない、とする説もある。

出典

  1. ^ 横澤信生「享徳三年四月三日畠山家分裂の実相」『富山史壇』157号、2008年。 
  2. ^ 大阪府史編集専門委員会 1981, pp. 54–59.
  3. ^ 桜井 2001, pp. 283–285.
  4. ^ 石田 2008, pp. 109–111, 124–125.
  5. ^ 大阪府史編集専門委員会 1981, pp. 59–65.
  6. ^ 朝倉 1993, pp. 115–118.
  7. ^ 桜井 2001, pp. 299–301.
  8. ^ 石田 2008, pp. 129, 136, 160–165.
  9. ^ 大阪府史編集専門委員会 1981, pp. 262–263.
  10. ^ 朝倉 1993, pp. 118–121.
  11. ^ 桜井 2001, pp. 301–305.
  12. ^ 大乗院寺社雑事記研究会 2003, pp. 124–130.
  13. ^ 石田 2008, pp. 177–178, 185–203.
  14. ^ 大阪府史編集専門委員会 1981, pp. 269–280.
  15. ^ 朝倉 1993, pp. 124, 139–141.
  16. ^ 桜井 2001, pp. 320–322.
  17. ^ 大乗院寺社雑事記研究会 2003, pp. 130–143.
  18. ^ 石田 2008, pp. 224–226, 232–233, 273.
  19. ^ 福島 2009, pp. 14, 17–18.
  20. ^ 大阪府史編集専門委員会 1981, pp. 281–291.
  21. ^ 大乗院寺社雑事記研究会 2003, pp. 144–151.
  22. ^ 福島 2009, pp. 23–34.


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