ダリオ・ヒュブナーとは? わかりやすく解説

ダリオ・ヒュブナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/27 03:27 UTC 版)

ダリオ・ヒュブナー
名前
愛称 イル・ビゾンテ(バイソン、水牛)[1]、タタンカ[1]、サイボーグ
ラテン文字 Dario Hübner
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1967-04-28) 1967年4月28日(56歳)
出身地 ムッジャ
身長 184cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダリオ・ヒュブナーDario Hübner1967年4月28日 - )は、イタリアムッジャ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード

1991-1992シーズンにセリエC1、1995-1996シーズンにセリエB、2001-02シーズンにセリエA各得点王、セリエA、セリエB、セリエCの全てのカテゴリーで得点王を獲得した選手は、他にプロッティのみである[2]。また、セリエAの得点王に輝きながら、1度もイタリア代表でプレーしていない4選手の一人である(他にプロッティ、ビルディス、ヴォルクが居る。)[3]

経歴

祖父はフランクフルトからイタリアに来たドイツ人[1]。14歳の時、働くために学校を退学し、パン屋で働き始めた[1]。16歳の頃はシャッターやアルミニウム加工品などを作る工場で働きながら、地元のマッギアネーゼでプレーしていたが、サッカーは単なる趣味であった[1]

1987年、20歳の頃、地域リーグのピエヴィジーナへと移籍。ペルゴクレーマを経て、1989年にファーノへ移籍。1991-92シーズンにはセリエCで14得点を挙げ、リーグ得点王を獲得した[1]。1992-93シーズン、ACチェゼーナへ移籍、ここでの5シーズンで、180試合に出場し、83得点を挙げ、クラブの最多得点者となった[1]。この間の1995-96シーズンには22得点を挙げ、セリエBの得点王に輝いた[1]

1997-98シーズン、30歳の時にセリエA(当時)のブレシアからオファーを受けて移籍した[1]。対インテル戦でセリエAデビュー、アンドレア・ピルロのパスからセリエA初得点を決めた[1]。9月13日のサンプドリア戦ではハットトリックを達成した[1]。リーグ戦では16得点を決めたが、チームはセリエBへ降格が決まった[1]。それでもチームに残留し、2シーズンをセリエBの舞台でプレーした。2000-01シーズンはにチームはセリエA再昇格を果たし、はロベルト・バッジョとのコンビでゴールを量産した[1]。このシーズンのコッパ・イタリアでは7得点を挙げ、チームは準決勝まで進出した[1]。この頃、殆ど選手を褒めることがないファビオ・カペッロも、「ここ10年のイタリアで、ベスト3から4に入るストライカーの1人だと」と称賛した[1]

2001-02シーズン、プレミアリーグのリーズ・ユナイテッドから高額のオファーを受けたが、これを断り、セリエAに昇格したピアチェンツァへ加入した[1]。ここでも決定力を発揮し、35歳にして24得点を挙げ、ダビド・トレゼゲユヴェントス)と並んで得点王を獲得、35歳での得点王は最年長記録となった[1]。2002-03シーズンはチームのセリエA残留は成し得なかったが、ヒュブナー自身は14得点をマークした。

2003-04シーズンよりセリエA昇格を果たしたアンコーナに加入するも、9試合で無得点と活躍は出来ず、シーズン途中で不振に苦しむペルージャへ移籍[1]。ペルージャがセリエB降格後、マントヴァに移籍した[1]

2006年からは、エッチェンレンツアリーグ(4部相当)に在籍するオルサコルテフランカでプレーし、2009年にカステル・メッラに移籍した。

備考

  • 2002年5月、ACミランのアメリカ遠征に参加し、3試合に出場したが、移籍は実現しなかった[1]。この時、ロッカールームで煙草を吸い、ビールを飲んでいたため、ミランへの移籍が実現しなかったという憶測があったが、本人が否定した[1]
  • トレヴィーゾのキャンプに参加を要請された時、兵役に就く予定だったが、人員超過の為に兵役を免除されキャンプ参加が可能に。この時にピエヴィジーナと練習試合をし、ピエヴィジーナにスカウトされる。
  • チェゼーナ在籍時、インテルからのオファーを受けるも交換要員のマルコ・デルベッキオが拒否して結局移籍出来なかった。本人はインテリスタである。また、本人のヒーローはルンメニゲアルトベッリである。
  • クレーマにてバール『タタンカ』(バッファローの意)を経営している。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1987-88 ピエヴィジーナ Int. 25 10
1988-89 ペルゴクレーマ C2 28 6
1989-90 2 0
ファーノ 27 8
1990-91 C1 30 4
1991-92 31 14
1992-93 チェゼーナ B 34 10
1993-94 32 12
1994-95 33 15
1995-96 36 22
1996-97 31 15
1997-98 ブレシア A 30 16
1998-99 B 36 21
1999-00 32 21
2000-01 A 31 17
2001-02 ピアチェンツァ 33 24
2002-03 27 14
2003-04 アンコーナ 9 0
ペルージャ 13 3
2004-05 マントヴァ C1 23 7
2005-06 キアリ D 15 9
ロンデンゴ・サイアーノ 25 18
2006-07 オルサコルテフランカ Ecc. 27 10
2007-08 17 20
2008-09 20 18
2009-10 カステル・メッラ      
通算 イタリア セリエA 143 74
イタリア セリエB 234 116
イタリア セリエC1 84 25
イタリア セリエC2 57 14
イタリア セリエD 40 27
イタリア セリエEcc.
イタリア セリエInt. 25 10
総通算

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Dario Hübner, 'Il Bisonte' del goal: "Senza grappa e sigarette il più forte di tutti"”. GOAL (2023年4月28日). 2023年8月27日閲覧。
  2. ^ Il capocannoniere retrocesso: Igor Protti, bomber anti-divo in 3 serie diverse”. GOAL (2022年9月24日). 2023年8月27日閲覧。
  3. ^ Pietro Paolo Virdis, 'il bomber di Sindia': dal Cagliari a campione d'Europa col Milan di Sacchi”. GOAL (2022年1月26日). 2023年8月15日閲覧。




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