き裂閉口とは? わかりやすく解説

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き裂閉口

(Crack closure から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 07:08 UTC 版)

材料の疲労、特に金属疲労におけるき裂閉口(きれつへいこう、英: crack closure)とは、き裂を開こうとするが加わっても、ある程度以上の力まではき裂が閉じた状態を保つ現象である[1][2][3]き裂開閉口[1]き裂開閉口現象[4]き裂開閉口挙動[5]などとも呼ばれる。疲労き裂伝ぱに影響を与える重大因子の一つである。1970年・1971年に、ヴォルフ・エルバ― (Wolf Elber) によって最初に発見された。

き裂閉口現象から、実際にき裂が開口している範囲に相当する応力拡大係数の範囲が導かれる。これは有効応力拡大係数範囲(ゆうこうおうりょくかくだいけいすうはんい、英: effective stress intensity range)と呼ばれ、疲労き裂伝ぱ速度特性を本質的に決定する駆動力となる。き裂閉口の原因の一つは、き裂縁に残留引張塑性変形域によるもので、このような機構のき裂閉口は塑性誘起き裂閉口と呼ばれる。この他の機構のき裂閉口として、酸化物誘起き裂閉口、破面粗さ誘起き裂閉口、粘性流体誘起き裂閉口、相変態誘起き裂閉口が存在する。

背景

金属材料の疲労き裂の伝ぱ速度は、小規模降伏条件が満たされる範囲内では応力拡大係数範囲 ΔK に強く依存することが知られている[6]。理想的な弾性体中のき裂を想定すると、引張りの外力がかかるとき裂は開口し、除荷して外力0になるとき裂は閉口する[5]。き裂の応力拡大係数でいえば、KI > 0 のときにき裂は開口しており、KI = 0 でき裂が閉口する[5]

このような単純なき裂開閉口を前提にすると、疲労き裂伝ぱ特性を整理するための応力拡大係数範囲 ΔK は次のように仮定できる[7]

繰り返し荷重中のき裂開閉口の概念図。理想弾性体中のき裂(中央)は引張荷重下で常に開口するに対し、き裂閉口を起こしている疲労き裂(右)では一定引張荷重まで開口しない。

しかし、1970年[10]・1971年[11]に、ヴォルフ・エルバ― (Wolf Elber) によって、引張りの外力がかかった状態でもき裂が閉じる現象が初めて発見された[12][13]。この現象の実在は、その後多くの研究者たちによって確認された[14]。現在では、き裂閉口は疲労き裂伝ぱに影響を与える重大因子に位置づけられる[15]

き裂閉口を発見したエルバ―は、き裂の伝ぱ挙動を議論するにはき裂の真の開閉口挙動に対応する応力拡大係数の幅、すなわち有効応力拡大係数範囲(英: effective stress intensity range)ΔKeff を用いる必要があるとは指摘した[16]。有効応力拡大係数範囲とは、繰り返し応力拡大係数の最大値 Kmax からき裂が開口し始める時の応力拡大係数 Kop を差し引いたもので、次式で定義される[8]

塑性誘起き裂閉口

  • 酸化物誘起き裂閉口

  • 破面粗さ誘起き裂閉口

  • 粘性流体誘起き裂閉口

  • 相変態誘起き裂閉口

  • 測定

    コンプライアンス法によるき裂閉口測定の概略図

    き裂閉口現象は、試験片などを用いた測定で確認することができる[56]。もっとも一般的な測定方法は、コンプライアンス法と呼ばれる試験片のコンプライアンスの変化を利用する方法である[57][58]。試験片に対して荷重をかけるとき、荷重 P と荷重点の荷重方向変位 δ の関係は、き裂先端の塑性変形が無視可能な範囲でほぼ線形となる[56]。このときの λ = δ/P をコンプライアンスと呼ぶ[57]。き裂開閉口を起こしている試験片に荷重を加えると、き裂が開閉口したタイミングで試験片断面が変化してコンプライアンスが変化する[57]。よって、コンプライアンス変化を測定することにより、き裂閉口現象の検出が可能となる[57]

    実際の試験では、荷重点の荷重方向変位 δ の代わりに、それに対応関係を持つ他の場所の変位やひずみが用いられる[57][59]。き裂を発生させる切欠きにクリップゲージを設置して変位を得る方法や、試験片背面側にひずみゲージを設置してひずみを得る方法などがよく使われている[59]。き裂開閉口が生じている場合の荷重(または応力、応力拡大係数)と変位(またはひずみ)の関係曲線を得ると、き裂が完全に開いている高荷重範囲の曲線はほぼ線形となっているが、それよりも荷重を下げていくとあるところから曲線が折れ曲がって傾きが変化する[56][60][61]。この傾き変化がコンプライアンス変化なので、曲線が折れ曲がる点がき裂開閉口点に相当する[60]。ただし、実際には傾き変化は小さく折れ曲がり点は不明瞭なため、き裂が完全開口した範囲の荷重-変位曲線を線形と仮定して試験荷重全域に延長し、き裂完全開口に相当する変位を実測した変位から差し引くことで、折れ曲がり点を明瞭にする手法が取られる[60][62][63]

    き裂開閉口を実測する他の方法には、き裂開閉口にともなう電気抵抗の変化を利用する方法や、き裂破面での超音波の透過あるいは反射を利用する方法などがある[64]。透明な高分子材料などに限定されるが、光学的な干渉を利用し、材料内部も含めて3次元的にき裂開閉口の挙動を調べた例もある[65][59]

    予測・計算モデル

    き裂閉口の程度は、材料の微視組織、環境、応力状態、負荷履歴、き裂サイズによって左右される[66]。多くの場合、き裂閉口の程度はそれぞれのき裂伝ぱ時の状況に依存する[67]。また、上記のような複数の機構がき裂閉口に係わり、き裂伝ぱ速度に影響を及ぼす可能性もある[68]。こういった複雑な問題が存在するため、き裂閉口の定量的な理論の確立は難しい[67]。有効応力拡大係数範囲 ΔKeff の正確な予想方法は未だ確立できておらず、今後の研究課題である[36]。現状では ΔKeff を知るにはき裂開閉口を実測する必要があるので、実際の機械や構造物に存在するき裂の ΔKeff を求めることは容易ではない[69]

    き裂開口応力拡大係数 Kop も、材料定数というよりは、多数の因子によって決まる値だと考えられている[70]。エルバ―はアルミニウム合金2023-T3について Kop を測定し、き裂開口比 U の経験式を応力比 R を変数として次のように求めた[71][70]

       (ただし −0.1 ≤ R ≤ 0.7 の範囲)

    他の研究者も、他の合金で似たような経験式を求めた[70][72]。塑性誘起き裂閉口の場合は、このように U には高い可能性で R 依存性がある[71]。一方で、エルバ―の式についても他の経験式についても簡易化が過剰と指摘されており、U の決定には R 以外の因子もあると指摘されている[70]

    塑性誘起き裂閉口については、有限要素法などの力学的な解析モデルによる研究が比較的進んでいる[42]。有限要素法を用いた計算によって、理想き裂の進展とともに開口応力 σop が増加する結果や[73]平面ひずみ状態でのき裂閉口の度合いは平面応力状態よりも低下するといった結果が得られている[74]

    出典

    1. ^ a b 日本機械学会 1997, p. 317.
    2. ^ Anderson 2011, p. 472.
    3. ^ 小林 1993, p. 134.
    4. ^ 城野・宋 2005, pp. 4, 15.
    5. ^ a b c 東郷 2013, p. 145.
    6. ^ a b 大路・中井 2006, p. 94.
    7. ^ 小林 1993, p. 132.
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    11. ^ W. Elber (1971). “The Significance of Fatigue Crack Closure”. Damage Tolerance in Aircraft Structures, ASTM STP 486: 230–242. doi:10.1520/STP26680S. ISBN 978-0-8031-0031-2. 
    12. ^ Anderson 2011, pp. 472, 521.
    13. ^ 城野・宋 2005, p. 4.
    14. ^ a b Anderson 2011, p. 473.
    15. ^ 城野・宋 2005, p. 5.
    16. ^ 大路・中井 2006, pp. 101–102.
    17. ^ 陳 2015, p. 102.
    18. ^ a b 陳 2015, p. 103.
    19. ^ 東郷 2013, pp. 146–147.
    20. ^ a b 東郷 2013, pp. 82–83.
    21. ^ a b 小林 1993, pp. 64–65.
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    58. ^ Anderson 2011, p. 511.
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    60. ^ a b c 城野・宋 2005, p. 37.
    61. ^ スレッシュ 2005, p. 482.
    62. ^ 陳 2015, pp. 101–102.
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    66. ^ スレッシュ 2005, pp. 500–501.
    67. ^ a b スレッシュ 2005, p. 500.
    68. ^ スレッシュ 2005, p. 501.
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    72. ^ 城野・宋 2005, p. 62.
    73. ^ 中井・久保 2014, p. 102.
    74. ^ スレッシュ 2005, p. 488.

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