バイチュン・ブティア
(Bhaichung Bhutia から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 14:31 UTC 版)
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名前 | ||||||
愛称 | Sikkimese Sniper (シッキムのスナイパー) |
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カタカナ | バイチュン・ブティア | |||||
ラテン文字 | Baichung Bhutia | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1976年12月15日(46歳) | |||||
出身地 | シッキム州ティンキタム | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1995 | ![]() |
9 | (4) | |||
1995-1997 | ![]() |
20 | (14) | |||
1997-1999 | ![]() |
31 | (15) | |||
1999-2002 | ![]() |
37 | (3) | |||
2002-2003 | ![]() |
11 | (6) | |||
2003 | →![]() |
8 | (4) | |||
2003-2005 | ![]() |
38 | (21) | |||
2005 | ![]() |
5 | (1) | |||
2005-2006 | ![]() |
16 | (12) | |||
2006-2009 | ![]() |
45 | (19) | |||
2009-2011 | ![]() |
3 | (0) | |||
2012-2013 | ![]() |
3 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
1995-2011 | ![]() |
107 | (42) | |||
監督歴 | ||||||
2012 | ![]() |
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1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月22日現在。 2. 2014年11月22日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
バイチュン・ブティア(Baichung Bhutia、1976年12月15日 - )は、インドのシッキム州南部ティンキタム(Tinkitam)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはFW。
来歴
インドの国内クラブでプレー後、1999年にイングランドに渡りフラム、アストン・ヴィラ、WBAなどでトライアルを受け、最終的にイングランド2部リーグ(現フットボールリーグ1)のベリーに3年契約で入団。2002年までインド人として初めてヨーロッパのプロリーグでプレーし話題となった。
1995年に19歳で代表デビュー。地元開催となったAFCチャレンジカップ2008ではインドの初優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。中心選手として長年インドサッカー界を引っ張り、2009年8月に代表通算100試合出場を達成。代表最多出場・最多得点記録を持つ。2011年8月に代表からの引退を発表した。2012年1月10日、インド代表対バイエルン・ミュンヘンの試合をもって正式に代表を引退した。
2014年11月21日、AFC初代殿堂入りを果たした[1]。
エピソード
- 兄もローカルレベルのサッカー選手だった。
- 名前のバイチュンは文字通り「弟」を意味する。
- 出身地シッキム州には彼の名前が付いたサッカースタジアム「Baichung Stadium」がある。
- 2004年に長年の恋人と結婚。2010年4月8日に女の子と男の子の双子が誕生した。
- 2008年北京オリンピックの聖火リレーではインド国内の走者の一人を務めることになっていたが、中国のチベット暴動鎮圧に抗議し走者を辞退した。
所属クラブ
イースト・ベンガル 1993-1995
JCTミルズ 1995-1997
イースト・ベンガル 1997-1999
ベリーFC 1999-2002
モフン・バガン 2002-2003
イースト・ベンガル 2003-2006
モフン・バガン 2006-2009
イースト・ベンガル 2009-2011
ユナイテッド・シッキムFC 2011-2013
脚注
- ^ AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出 サッカーキング 2014年11月22日
外部リンク
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固有名詞の分類
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