1999年オーストラリア国民投票
(Australian republic referendum から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 10:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動1999年オーストラリアの共和制導入に関する憲法改正国民投票[1] | ||||||||||||||||||||||
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設問:「連邦議会の議員の3分の2の多数によって指名される大統領と女王及び総督を入れ替えることで、共和国としてオーストラリア連邦を設立するよう憲法を改正する法案について、その改正を承認するか。」 あなたはこの設問に賛成ですか。 | ||||||||||||||||||||||
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開催日 | 1999年11月6日 | |||||||||||||||||||||
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ウェブサイト:1999 referendum report and statistics |
1999年オーストラリア憲法全文改正に関する国民投票 | ||||||||||||||||||||||
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設問:「前文の文言を変更する法案について、その改正を承認するか。」 あなたはこの設問に賛成ですか。[3] | ||||||||||||||||||||||
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開催日 | 1999年11月6日 | |||||||||||||||||||||
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ウェブサイト:1999 referendum report and statistics |
1999年オーストラリア国民投票(英語: Australian republic referendum, 1999)は、「君主制を廃止すべきか存続させるべきか」を巡って1999年11月6日に実施されたオーストラリアの国民投票である。オースラリア憲法の改正投票であった。結果的には僅差ではあったものの、君主制存続が決まった。
概要
オーストラリアは同君連合である英連邦王国の一国であるが、オーストラリアのイギリスからの独立は、段階を踏まえて行われており、1901年のオーストラリア連邦成立以後も、ウェストミンスター憲章や1986年オーストラリア法により主権が確立されてきた。
19世紀より共和制を求める意見があり、また、多民族国家となったのだから、いつまでもイギリスの女王を国家元首にしておく必要など無いという声が強まったことにもよる。実際に非アングロ・ケルト系の住民の間では共和主義者が多い。1997年にジョン・ハワード首相が国民憲法会議を開くと表明し、共和制モデルに関する議論が行われた。しかし提案されたどの共和制モデルも会議の過半数を得られず、1999年11月6日に他案も取り入れた共和制モデルに対する国民投票が行われた。
決議された共和制モデルの概要は次のとおり。
- 国家元首の名称は大統領(President)とし、任期は5年とする
- 新憲法に先住民の存在、法の下の平等、両性の平等などを含める
- 国名は変更せず
- イギリス連邦からの脱退はしない
投票の結果は54.87%が「No」に投じ、実現することはなかった。
脚注
- ^ “1999 Referendum Report and Statistics – Key results”. Australian Electoral Commission (2007年6月8日). 2016年1月1日閲覧。
- ^ Table 4.21 (data) on Australian Electoral Commission (2000). Australian Referendums 1906–1999 (cdrom). ISBN 0-642-76007-1
- ^ 『共和制移行論議―オーストラリアのモデル―』、齋藤憲司
関連項目
- オーストラリアの共和主義(en:Republicanism in Australia)
- 君主制廃止論
- ルパート・マードック 熱烈な共和主義者。
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