801_ライヴとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 801_ライヴの意味・解説 

801 ライヴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 19:53 UTC 版)

『801 ライヴ』
801ライブ・アルバム
リリース
録音
  • 1976年9月3日
  • ロンドン クイーン・エリザベス・ホール
ジャンル エクスペリメンタル・ロック
時間
レーベル アイランド・レコード
プロデュース 801
専門評論家によるレビュー
AllMusic Rating link
チャート最高順位
801 アルバム 年表
  • 801 ライヴ
  • (1976年 (1976)
  • リッスン・ナウ
  • (1977年 (1977)
テンプレートを表示

801 ライヴ』 (801 Live) は、イングランドロックバンドである801が、1976年に発表したライヴ・アルバムである[1]

解説

経緯

1976年6月26日、ロキシー・ミュージックは解散を正式発表した[2]。メンバーのフィル・マンザネラ[注釈 1](ギター)は、1973年にロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノ[3][注釈 2](シンセサイザー、ヴォーカル、テープ)と短期のプロジェクトを企画した。

ブライアンはロキシーを去った後、自分のアルバムを作ったが、EGマネージメントからツアーに出るように要求された。彼は心底嫌がった[注釈 3][4]、、、そして従来のポップ・スターになろうという彼の野心は、ここで終わった。しかし彼はレコーディング活動を続け、私も彼と活動を続けて一緒にいる機会が多かった。ある日、一緒にコテージに行った際に、6週間のプロジェクトをやろうという考えが浮かんだ。演奏技術を愛する人と嫌う人を集めて、その結果何が生まれるかを見てみようという内容だった。

両者は、マンザネラがロキシー・ミュージックに加入する前に在籍していたクワイエット・サンのメンバーだったビル・マコーミック[注釈 4](ベース、ヴォーカル)を誘った。彼等はマコーミックの兄イアンを交えて別のコテージに移って選曲を始めた。ビートルズの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」を選んだのはマコーミックだった。彼によると、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」はある日のリハーサルで誰からともなく演奏され始め、イーノの「マザー・ホエール・アイレス」と「ザ・トゥルー・ホイール」[注釈 5]も検討されたが、時間の都合上削除された。

ビル・ブルーフォード[注釈 6](ドラムス)とフランシス・モンクマン[注釈 7](キーボード)も加わったが、まもなくブルーフォードは離脱し[注釈 8]、アルバム制作に起用されたレット・デイヴィスの提案でサイモン・フィリップスが招聘された。

801はマンザネラ、イーノ、マコーミック、モンクマン、フィリップス、ロイド・ワトソン(スライド・ギター)の6人編成になり、同年8月上旬にハマースミスにあるアイランド・レコードのスタジオでリハーサルを開始した。そして同月26日にノーフォーク、28日にレディング・フェスティバル、9月3日にロンドンクイーン・エリザベス・ホールでコンサートを開催した。

内容

本作は9月3日のクイーン・エリザベス・ホールでのコンサートを収録した。プロデュースはメンバーが担当した。

マンザネラ、イーノ、クワイエット・サンのアルバムの収録曲に加えて、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」と「ユー・リアリー・ガット・ミー」が演奏された。

本作は同年9月に発表され、全英アルバムチャートで最高位52位を記録した[5]。1988年には再発CDが発表された。

収録曲

オリジナルLP

Side One
# タイトル 作詞・作曲 オリジナル 時間
1. 「ラグリマ Lagrima」 Phil Manzanera フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年)
2. 「TNK(トゥモロー・ネバー・ノウズ) TNK (Tomorrow Never Knows)」 John Lennon, Paul McCartney ビートルズ、アルバム『リボルバー』(1966年)
3. 「イースト・オヴ・アステロイド East of Asteroid」 Manzanera, Bill MacCormick クワイエット・サン、アルバム"Mainstream"(1975年)、’Mummy was an asteroid, Daddy was a small non-stick kitchen utensil’
4. 「ロングロング Rongwrong」 Charles Hayward クワイエット・サン、アルバム"Mainstream"(1975年)
5. 「サンバーレプティル Sombre Reptiles」 Brian Eno ブライアン・イーノ、アルバム『アナザー・グリーン・ワールド』(1975年)
合計時間:
Side Two
# タイトル 作詞・作曲 オリジナル 時間
1. 「ベイビーズ・オン・ファイヤー Baby's on Fire Eno ブライアン・イーノ、アルバム『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』(1973年)
2. 「ダイヤモンド・ヘッド Diamond Head」 Manzanera フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年)
3. 「ミス・シャピロ Miss Shapiro」 Manzanera, Eno フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年)
4. ユー・リアリー・ガット・ミー You Really Got Me」 Ray Davies キンクス、アルバム『キンクス』(1964年)
5. 「サード・アンクル Third Uncle Eno ブライアン・イーノ、アルバム『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)
合計時間:

CD

# タイトル 作詞・作曲 オリジナル 時間
1. 「ラグリマ Lagrima」 Phil Manzanera フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年)
2. 「TNK(トゥモロー・ネバー・ノウズ) TNK (Tomorrow Never Knows)」 John Lennon, Paul McCartney ビートルズ、アルバム『リボルバー』(1966年)
3. 「イースト・オヴ・アステロイド East of Asteroid」 Manzanera, Bill MacCormick クワイエット・サン、アルバム"Mainstream"(1975年)、’Mummy was an asteroid, Daddy was a small non-stick kitchen utensil’
4. 「ロングロング Rongwrong」 Charles Hayward クワイエット・サン、アルバム"Mainstream"(1975年)
5. 「サンバーレプティル Sombre Reptiles」 Brian Eno ブライアン・イーノ、アルバム『アナザー・グリーン・ワールド』(1975年)
6. 「ベイビーズ・オン・ファイヤー Baby's on Fire Eno ブライアン・イーノ、アルバム『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』(1973年)
7. 「ダイヤモンド・ヘッド Diamond Head」 Manzanera フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年)
8. 「ミス・シャピロ Miss Shapiro」 Manzanera, Eno フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年)
9. ユー・リアリー・ガット・ミー You Really Got Me」 Ray Davies キンクス、アルバム『キンクス』(1964年)
10. 「サード・アンクル Third Uncle Eno ブライアン・イーノ、アルバム『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)
合計時間:

参加メンバー

※オリジナル・アルバムの裏ジャケットの記載に準拠。

  • レット・デイヴィス Rhett Davies – エンジニア
  • Chris Michie – サウンド・エンジニア
  • Richard Wallis – フォトグラフィ

コレクターズ・エディション

1999年、「サンバーレプティル」と「ベイビーズ・オン・ファイヤー」の間に「ゴールデン・アワーズ」と「ザ・ファット・レディ・オブ・リンバーグ」[注釈 9]を挿入した全12曲入りの改訂版CDが発表された[6]

2009年、『コレクターズ・エディション』と題された2枚組CDが発表された。CD1は前述の改訂版CDで、CD2には1976年8月23日にシェパートン・スタジオで行なわれたリハーサルの12曲が収録された[7]

脚注

注釈

  1. ^ クワイエット・サンロキシー・ミュージック
  2. ^ a b 当時はBrian Enoではなく単にEnoと名乗っていた。日本の音楽雑誌での表記はエノだった。
  3. ^ イーノはザ・ウィンキーズ(The Winkies)をバックに1974年2月13日から国内ツアーを開始したが、予定されていた20の公演の半分足らずを消化した3月4日で残りの公演をキャンセルした。
  4. ^ 元クワイエット・サン、マッチング・モウル
  5. ^ アルバム『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)の収録曲。「ザ・トゥルー・ホイール」はイーノとマンザネラの共作で、801というバンド名の由来になった曲である。
  6. ^ イエスキング・クリムゾン
  7. ^ カーヴド・エア
  8. ^ マコーミックによると「ビルと私は(収録曲の)多くを初めに一緒に録音してみたが、どうもしっくりいかなかった」とのこと。
  9. ^ 両曲ともイーノ作で、前者は『アナザー・グリーン・ワールド』(1975年)、後者は『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)の収録曲。

出典

  1. ^ Thompson (2022), pp. 113–116.
  2. ^ Buckley (2004), pp. 201–202.
  3. ^ Buckley (2004), p. 131.
  4. ^ Thompson (2022), pp. 62–65.
  5. ^ Thompson (2022), p. 113.
  6. ^ Discogs”. 2025年1月25日閲覧。
  7. ^ Discogs”. 2025年1月25日閲覧。

引用文献

  • Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9 
  • Thompson, Dave (2022). Roxy Music in the 1970s. London: Sonic Bond Publishing. ISBN 978-1-78952-180-1 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  801_ライヴのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「801_ライヴ」の関連用語

801_ライヴのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



801_ライヴのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの801 ライヴ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS