5人の詩人の会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:08 UTC 版)
「ピエール・コルネイユ」の記事における「5人の詩人の会」の解説
1634年、コルネイユはさらなる注目を集めた。リシュリュー卿がルーアンを訪問することになり、コルネイユはそのための詩を書くことになったのだが、その詩がリシュリュー卿に気に入られ、リシュリューはコルネイユを「5人の詩人の会」 Les Cinq Auteurs の一人に選んだ。ちなみに他の4人は、ギヨーム・コルテ、フランソワ・ル・メテル・ド・ボワロベール、ジャン・ロトルー、クロード・ド・レストワールだった。 この5人は、美徳を高める新しい劇を望むリシュリューのヴィジョンを実現するために選ばれた。リシュリューがアイディアを提示し、それを5人は劇の形にするのである。だが、リシュリューの要求はコルネイユにはあまりに制限が多すぎた。コルネイユは、リシュリューが線引きした境界の外側に活路を見いだそうとした。当然、雇い主と雇われ作家の間に確執が生じた。最初の契約期間が過ぎた後、コルネイユは会を去り、ルーアンに戻ることにした。
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