1645年の揚州虐殺(揚州十日)
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1645年(順治2年)旧暦4月から5月にかけて、清のヌルハチの十五男の豫親王ドド(多鐸)軍が、南明の史可法軍と戦闘した際に、揚州で大規模な殺戮を行い、死者は80万人にのぼった。ドドの軍は弘光帝の立てこもる南京も攻め落とし、弘光帝は翌年北京で処刑された。 『揚州十日記』では虐殺80万とされるが、当時の揚州の人口は20万以下であったことから、死者数は誇張されていると指摘されている
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