齋藤 勝とは? わかりやすく解説

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斎藤勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 21:26 UTC 版)

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さいとう まさる
斎藤 勝
生誕 (1937-04-25) 1937年4月25日(84歳)
日本 東京都
国籍 日本
出身校 日本体育大学
職業 バレーボール指導者
大学教授

斎藤 勝(さいとう まさる、1937年4月25日 - )は、日本のバレーボール指導者、アスレティックトレーナー、元バレーボール全日本男子監督。東海大学名誉教授。

来歴

東京都出身。東京都立目黒高等学校日本体育大学体育学部体育学科を卒業後、教師となる。並行して、数々の中学、高校、大学でバレーボール部の監督として采配を振った。

1970年、第7回世界選手権で、全日本男子チームのトレーナーを務めた(当時は、東海大一高の監督で、日本協会科学技術研究員だった[1])。

1972年のミュンヘン五輪でも、同じく全日本男子チームのトレーナーを務め、松平康隆監督とともに、倒立歩行など、独自のトレーニング方法を考案した[2]

1984年、ロス五輪後に、全日本男子チームの監督に就任(当時は、東海大学体育学部教授で、同大学のバレーボール部監督)。

1985年、神戸ユニバーシアードでも監督を務め、優勝を果たした。以降、就任期間中はユニバーシアードの出場メンバーを中心とした若いチーム作りをした。神戸ユニバーシアード大会では女子も優勝し、男女アベック優勝を達成する。女子の監督は大学の大先輩宗内徳行であった。

その後も、日本バレーボール協会常務理事、バレーボール全日本男子チーム強化委員長、東海大学体育学部長などを歴任した。

著書

  • 『バレーボールの戦術 - 松平バレーボール躍進の秘密』 - 講談社スポーツシリーズ (1972年、松平康隆池田尚弘との共著)
  • 『バレーボールのトレーニング』 - 大修館書店(1972年、吉原一男・豊田博・土谷秀雄との共著)
  • 『これが新しい体づくりだ 男子バレー勝利のかげに』 - 竹内書店(1972年)
  • 『バレーボール』 - 不昧堂出版 スポーツ新シリーズ1(1978年11月)
  • 『バレーボール - マンツーマン・コーチ』 - 西東社(1981年5月)
  • 『斎藤勝式・驚異のパワーアップトレーニング』 - 日本文化出版(1983年4月)
  • 『Volleyball 斎藤勝のバレーボール・技術と戦術』 - 学研マーケティング(1994年4月)
  • 『バレーボール 攻め方・守り方がよくわかる』 - 学研マーケティング(1999年2月、関岡康雄監修)
  • 『この道 その人生』 - 非売品の自伝

脚注




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