黎龍鉞
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中宗 黎龍鉞 | |
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前黎朝 | |
第2代皇帝 | |
王朝 | 前黎朝 |
在位期間 | 1005年 |
姓・諱 | 黎龍鉞 |
廟号 | 中宗 |
生年 | 天福4年(983年) |
没年 | 応天12年(1005年) |
父 | 大行皇帝 |
母 | 興国広聖皇太后 |
黎 龍鉞(れい りゅうえつ、レ・ロン・ベト、ベトナム語: Lê Long Việt)は、前黎朝大瞿越の第2代皇帝。廟号より黎中宗(ベトナム語: Lê Trung Tông)とも称される。
生涯
初代皇帝黎桓の三男。11人の兄弟のうちで父から最も寵愛を受けた。興統元年(989年)に南封王に封ぜられて応天11年(1004年)に皇太子に立てられた。翌年に黎桓の死後、皇帝に即位したが、わずか3日で弟の開明大王黎龍鋌に殺害された。
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