黄弼周
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 05:55 UTC 版)
| 黄 弼周 황필주 |
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|---|---|
| 生誕 | 1924年10月21日 |
| 死没 | 1998年6月26日(73歳没) |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 1947-1969 |
| 最終階級 | 少将 |
| 除隊後 | 大成木材社長 大韓火災社長 |
黄 弼周(ファン・ピルチュ、朝鮮語: 황필주、1924年10月21日 - 1998年6月26日)は、大韓民国の軍人、実業家。最終階級は陸軍少将。本貫は長水黄氏[1]。
経歴
1947年に警備士官学校を3期生で卒業[2]後、主に軍需方面で軍歴を重ねた。朝鮮戦争開戦時は第6師団(長:金鍾五大領)軍需参謀(少領)。朴正煕がクーデター計画が露見した際、一時的にかくまったことがあったとされる[3]。予備役編入後、多額の債権を抱えていたいわゆる「不実企業」の一つであった大成木材工業社長に発令され、経営の立て直しをはかる。ただし、政界とのパイプ役以上の役割はないと評された[4]。日本の外務省が韓国の民間団体に委託した報告書によれば、政治的圧力で多額の融資を要求し、従わない銀行長を辞任に追いやったため、「銀行長殺しの大成木材」と評されたという[5]。
同社会長退任後は大韓火災社長。
年譜
- 1947年4月19日:警備士官学校卒業(3期生)
- 1950年:第6師団軍需参謀
- 1956年:陸軍大学
- 1958年:陸軍調達監
- 1960年:陸軍軍需基地司令部参謀長
- 1962年:少将、第25師団長
- 1963年4月:軍需参謀部次長
- 1965年3月:第6軍管区司令官
- 1966年1月:陸軍本部人事参謀部副長
- 1968年2月:第1軍副司令官
- 1969年9月30日:予備役編入、大成木材社長
- 1973年大成木材会長、大成メタノール社長
- 1979年大韓火災社長
- その後大韓火災海上保険副会長[6]
- 1984年汎韓無電会長[6]
栄典
脚注
- ^ “(54)장수 황씨(長水黃氏)-146,575명”. 서울이코노미뉴스 (2014年9月11日). 2025年10月23日閲覧。
- ^ 張昌国 (1986年1月7日). “(3605) 第79話 陸士卒業生たち(58) 3期生の活動((3605) 제79화 육사졸업생들(58) 3기생의 활동 장창국 )”. 中央日報 2025年10月25日閲覧。
- ^ なお、報告書によれば当時の肩書は「第6軍管区司令官」としているが就任はクーデター後のため誤り。
- ^ 『韓国の合板工業 : 合板工業14社製材業他7社』近代調査株式会社市場調査部、1973年、24頁。NDLJP:12764301/61。
- ^ 日韓関係を記録する会 編『資料・日韓関係 2 (人脈・金脈・KCIAの実態)』現代史出版会、1976年、146頁。NDLJP:11926536/78。
- ^ a b “범한무전 회장에 황필주씨추대” (朝鮮語). 매일경제 (1984年6月1日). 2025年10月23日閲覧。
参考文献
- 世界政経調査会 編『韓国・北朝鮮人名辞典 1979年版 /上』世界政経調査会、1980年3月、239頁。NDLJP:12170777/143。
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