鳳桐寺とは? わかりやすく解説

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鳳桐寺

(鳳桐寺 (古河市) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 23:21 UTC 版)

鳳桐寺
所在地 茨城県古河市牧野地421
位置 北緯36度10分52.143秒 東経139度41分54.178秒 / 北緯36.18115083度 東経139.69838278度 / 36.18115083; 139.69838278座標: 北緯36度10分52.143秒 東経139度41分54.178秒 / 北緯36.18115083度 東経139.69838278度 / 36.18115083; 139.69838278
山号 心性山
宗派 日蓮宗
本尊 三宝尊
創建年 室町時代
開山 日延
開基 足利成氏
正式名 心性山 鳳桐寺
法人番号 3050005005722
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鳳桐寺(ほうとうじ)は、茨城県古河市牧野地にある日蓮宗寺院古河公方ゆかりの寺院である[1]。旧本山は、身延山久遠寺

歴史

当寺の縁起によれば、室町時代、初代古河公方足利成氏鎌倉にいたとき、成氏の開基・日延の開山により「鎌倉波路川之内上川原村」に創建され、成氏が古河に移座したとき(1455年)、あるいは第5代足利義氏のときに、古河に移転した。ただし、あいまいな点が多く、開基は足利義政とする記述もある[2]。古河の歴史解説では、成氏が鎌倉に創建し、成氏に従って古河に移転したとする場合が多い。創建時には、境内に桐の老木があり、鳳凰が止まったことから「康正山 鳳桐寺」と呼ばれた[1]。足利義氏の時代には公方家の祈願寺であり、住職が奉行人を勤めていた(『晃程文書』[3])。

江戸時代の初期、住職の心性院日遠が徳川家康から迫害を受け、側室おまんの方に救われたことがあり、このとき山号を「心性山」に改めた[1]。古河市内の妙光寺の縁起によれば、江戸時代には妙光寺の管理下に置かれていた[2]。無住の時代が長かったが、昭和33年(1958年)に中興され、現在に至る。足利義政が奉納したとされる十羅刹女がある[1]

交通

脚注

  1. ^ a b c d 『古河市史 民俗編』836-837頁(鳳桐寺)
  2. ^ a b 『古河市史 通史編』 193頁(鳳桐寺)
  3. ^ 『古河市史 資料中世編』No.1094(足利義氏書状写)
  4. ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・古河市公式ホームページ 観光・歴史 古河市の観光パンフレット (PDF) (2013年12月14日時点のアーカイブ)より

参考文献

  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料中世編』 古河市、1981年
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年



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