高樹町に存在した施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 23:53 UTC 版)
高樹町には大東亜戦争中、資源調査を目的とする研究機関・資源科学研究所が置かれていた。しかしながら研究所の施設建物は1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)の被害を受けて周辺一帯と共に焼失し、日本の敗戦後には百人町に移転した。 1954年(昭和29年)には美術学校、セツ・モードセミナーが開校し、1965年(昭和40年)に移転するまでの約10年間、高樹町で芸術家を育てていた。
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