高広次平_(3代)とは? わかりやすく解説

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高広次平 (3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 14:42 UTC 版)

3代 高広 次平(たかひろ じへい、1885年明治18年)[注 1]8月3日[1][2] - 1950年昭和25年)9月25日[1][2])は、大正から昭和時代前期の政治家銀行家実業家貴族院多額納税者議員。幼名は欣蔵[2][3]

経歴

2代高広次平の長男として富山県礪波郡福岡町西礪波郡福岡町を経て現高岡市)に生まれる[2][3]早稲田大学政治経済科修了[1][注 2]1914年(大正3年)時点で県内で4番目の多額納税者だった[3]。1920年(大正9年)3代次平を襲名した[4]

1915年(大正4年)中越鉄道の3代目社長に就任し、全線を開通させた。ついで1919年(大正8年)西礪波郡会議員を経て、福岡町会議員、同農会長を歴任する[1]。ほか、山又機業社長、北陸信託、中越鉄道、富山県農工銀行、富山日報社各監査役などを歴任した[1]

銀行家としては、早大での学業後、第一銀行に入行し、その後、高岡共立銀行に転じた[2]。1921年(大正10年)高岡銀行に移り取締役となり、さらに頭取に就任[2]。1943年(昭和18年)十二銀行・高岡銀行・中越銀行富山銀行が合併して北陸銀行が創立され副頭取となり、1946年(昭和21年)頭取に就任した[2]

1925年(大正14年)富山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[1]

親族

脚注

注釈

  1. ^ 『富山大百科事典 下巻』63頁では1884年(明治17年)。
  2. ^ 『富山大百科事典 下巻』63頁では卒業。

出典

  1. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1960, 201頁.
  2. ^ a b c d e f g 『富山大百科事典 下巻』63頁。
  3. ^ a b c d 竹内ほか 1992, 281頁.
  4. ^ a b 『大衆人事録 中部篇』富山10頁。
  5. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。

参考文献

  • 『大衆人事録 中部篇』帝国秘密探偵社ほか、1940年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 竹内理三ほか 編纂『富山県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典16、角川書店、1992年。ISBN 4040021606 
  • 『富山大百科事典 下巻』北日本新聞社、1994年。



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