駿河徳川家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 駿河徳川家の意味・解説 

駿河徳川家

(駿府徳川家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/06 17:24 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

駿河徳川家(するがとくがわけ)は、駿河国遠江国甲斐国を治めた徳川氏の支系の一つ。駿河大納言家とも。

歴史

江戸幕府2代将軍徳川秀忠の三男・忠長を家祖とする。忠長は元和2年(あるいは元和4年(1618年))9月に甲府藩23万8000石を拝領し、(『甲斐国志』による)のち信濃国小諸藩も併合されて領地に加えられた。寛永元年(1624年)7月には駿河国と遠江国の一部(掛川藩領)を加増され、駿遠甲の計55万石を領有し、駿河徳川家を創設した。なお、その際に小諸藩領は領地から外されている(後に松平憲良が入封)。しかし、忠長は後に不行跡を理由として大御所秀忠から蟄居を命ぜられ、秀忠の死後には兄の3代将軍・家光によって改易され、さらに高崎に幽閉された後に自刃したため、駿河徳川家はわずか1代で断絶した。

関連項目



このページでは「ウィキペディア」から駿河徳川家を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から駿河徳川家を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から駿河徳川家 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「駿河徳川家」の関連用語

駿河徳川家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



駿河徳川家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの駿河徳川家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS