馬渕直逸
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馬淵 直逸(まぶち なおいつ、1879年〈明治12年〉11月3日 - 1929年〈昭和4年〉1月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
愛知県碧海郡依佐美村大字野田(現刈谷市)で旧福島藩士馬淵栄吉の長男として生まれる。
高等小学校を卒業後、陸軍士官学校(11期[1])に入り、1900年(明治33年)6月陸軍歩兵少尉に任官される。1903年(明治36年)陸軍大学校に入学、卒業後陸軍参謀本部部員に補せられる。さらに第17師団参謀、歩兵第38連隊大隊長を経て再び参謀本部部員となり、陸軍大学校および海軍大学校教官に補せられ、陸軍の中堅、参謀将校の養成に尽くした。
1920年(大正9年)第一次世界大戦が終了し、平和条約の締結にあたり実施委員を命じられ欧州に出かけ1922年(大正11年)帰国する。歩兵第3連隊長、参謀本部課長を歴任し、陸軍少将となる。さらに陸軍大学校教官、歩兵第7旅団長を経て第1師団司令部附となるが、1929年1月25日没する。陸軍中将に栄進する[2]。
親族
脚注
参考文献
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
関連項目
外部リンク
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