飛騨鰤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 00:08 UTC 版)
松本地方では、野麦峠を越えて高山からもたらされる鰤を「飛騨鰤」と呼び、「年取り魚」として重要視されたのである。元来、富山(越中)から高山まで運ばれたものなので、高山では「越中鰤」と呼ばれていたものであった。飛騨地方で消費される鰤を、松本地方の商人が高山の市場で拝み倒すように分けてもらっていたが、やがて松本地方で消費される事を見越して、越中で獲れた段階で、松本まで鰤の鮮度が保たれるように、より多くの塩で漬けられるようになった。 松本地方には、越後から鮭も入っていたが、鰤のほうが特に珍重され、鰤一尾で米一俵に相当する値段であった。飛騨からの鰤の輸送は、1902年(明治35年)に篠ノ井線が開通し、松本地方が鉄道で他地域と結ばれるまで続いた。
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